同窓生は今

今人生、真っ盛り ~29期(空)~

2024.03.21

「85会と剣道の取り組みについて」

 

  村上 和彦(29期 航空) 29F101A.png

 

はじめに


 令和5年11月初旬、29期航空同期生の長島純さんがアフリカの在ブルキナファソ日本国特命全権大使として、首都ワガドゥグに着任されました。 長島さんは、 防大同窓会29期航空代議員を務めておられましたが、令和5年9月末に赴任の命を受けられた際、代議員の交代について後述する統一期85期会(85会)の 総括幹事を背景 として当方に依頼がありました。本寄稿には、長島さんが最も相応しいと思いますが、やりがいをもって取り組ませて頂いている85会、また、小1から 始め、ブランク はあるものの約50年ライフワークとさせて頂いている剣道の取り組みをその礎となった防大剣道部4年間の思い出を含めて紹介させて頂くことにより、 テーマに沿った 寄稿としてご了承頂ければと思います。

85会について


 85会は、陸、海、空幹部候補生学校・統一期85期生(1985年春入校)をベースとした飲食を伴う親睦会で、市ヶ谷勤務者が多くなった平成14、5年頃、最初は、 陸の同期生により、市ヶ谷防衛省近傍のレストランで始まり、平成23年の秋頃からは、海、空同期生にも拡大された旨、お聞きしています。
 85会が海、空に 拡大された頃、私は目黒勤務で、市ヶ谷勤務で空幹事の梅田さんから連絡を頂き、目黒の空同期生に案内しつつ参加、平成28年5月定年退官となるも 継続して参加させ て頂いていました。85会の企画、案内、進行等を行う総括幹事は、創始以来、市ヶ谷勤務現役陸同期生でしたが、OBながら平成29年5月期から担当 させて頂いています。 現在85会は、陸幹事は城戸さん、海幹事は中尾さん、空は当方兼務、受付会計を主に空の美川さんに担任頂いて開催されています。
 85会参加者は、陸、海、 空85期B(防大卒)が主体ですが、U(一般大)、I(部内)と共に、最近は29期生として入校の1年時退校の一般大出身者や29期生と高校同級生で 防衛関連会社に勤務する 方等、緩やかな集まりとなっています。参加人数は、私が総括幹事をさせて頂いてから25回ですが、16名から82名、遠くは九州、北海道、関西、 東海地区から参加頂い ています。同期生の有難さや絆をより強く感じています。
 令和5年には、シンガポール留学生、陸の陳勝家(タン・シンガ)さん(通訳会社等経営)が来日の機会に 、85会参加と伴に、卒業以来約38年ぶりに防大を訪問頂きました。 陳さん防大訪問では、松本学校長及び荒井副校長表敬、資料館、総合情報図書館、授業状況見学、陳 さんが学生時代所属の銃剣道部練習状況見学及びOBとして学生への 激励、最後は、私が学生時代所属の剣道部の稽古も見学頂きました。この訪問は、同期の佐伯さん、 板宮さん、納富さんの同期生の調整支援を得て実現したもので、 85会開催を継続してきた同期生の縁によるものと有難く思います。
 85会は、同期生をベースと して、気楽に語り合い、旧交を温め、新交をつくり、楽しい時間を共有できる場として、できる限り長く継続してゆければと考え、 微力ながら、自己の健康に留意し つつ、総括幹事を続けさせて頂きたいと思っております。

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令和元年 85 会、十条駐屯地内食堂にて

剣道の取り組みについて


 私と剣道との出会いは、昭和42年、小1の時、警察予備隊出身で陸上自衛官の父が、図体はでかいが泣き虫の私の根性を治そうと、当時警視庁剣道指導室 教師の伯父の 勧めで竹刀、剣道着、袴、剣道具一式を購入し、千葉県野田市内の春風館道場に通わせたのが始まりでした。暫くは嫌々ながら稽古に通っていましたが、 試合で入賞して 小さな盾を頂いて興味を持ちました。その後、小学校で4校(神奈川、千葉2、埼玉)、中学校で2校(沖縄、福岡)の転校を経験するも継続し、中3時に 福岡で初段を頂き ました。しかし、進学した私立高校では、通学と父の異動を考慮して寮生になるも学校方針で寮生の部活は禁止、陸自を定年退官して間もない父の 勧めもあり、防大に 昭和56年4月、29期生として入校、もう一度やってみたいという思いから剣道部に入部させて頂きました。
 防大入校時の学校長は、第4代 の土田國保先生でした。私を剣道に導いた伯父は、当時、警視庁剣道指導室師範で、土田先生と面識があり、伯父から聞いて私の入校を ご存知であった旨、後にお聞き しました。土田先生は、平日週2から3回、剣道部稽古に剣道着と袴姿で颯爽と来られ、30分程学生と稽古され、颯爽と戻られました。 私は、初心者同様の低体力者で 稽古についてゆくのがやっとでしたが、土田先生がお見えの際は、真っ先に稽古をお願いするよう心掛け、互角稽古がすぐに懸り稽古に なるも、毎回、お声がけを頂き 励みになりました。
 元警視総監の土田学校長のご高配により、毎年6月頃、剣道界を牽引している警視庁剣道指導室、特錬(術科特別訓練員)の十名程の先生方 が来校されました。 全日本選手権大会や警察選手権大会で優勝経験のある錚々たる先生方による「これぞ警視庁」という基本に忠実な正しく豪快な剣道を眼前で拝見し、 基本を重視した稽古、 指導稽古を頂く機会を得ました。他の大学剣道部では成し難い貴重な経験をさせて頂きました。
 私にとって、8月夏季合宿、1月の寒 稽古、3月春季合宿は、それぞれ関門でした。特に1学年時、校外夏季合宿は、最難関でした。厳暑、早朝の駆け足、午前2時間半、 午後3時間、合計5時間半の稽古、 食事が殆ど喉を通らず、血尿が出て清涼飲料水で、何とか「生きている」状況の中、先生、顧問、上級生、同期生の励ましで何とか 乗り切りました。私は疲労困憊、 宿泊所から剣道具等持参で、足裏の血豆が破れた両足を引きずりながら、鉄道を乗り継ぎ、親類宅に何とか辿り着き丸二日間眠り続け ました。一生忘れ得ぬ経験であり、 爾後の私の剣道の取り組みの原点になりました。11月審査にて2段昇段、2学年時には3段に昇段、4学年になり、剣道部年間最大 目標の関東学生優勝大会の選手に選ばれ、 試合に出場させていただきました。11月4段に昇段、土田先生と稽古の機会を得て、1学年時は、互角稽古が直ぐに懸り稽古に なりましたが、「三本勝負」とお言葉を 頂き、文字通り、互角に稽古ができるようになっていました。4学年1月寒稽古が終わり最終日恒例の納会の席上、土田先生から、 「四年間で強くなりましたね。卒業後も継続してください」とお言葉をかけて頂き、卒業記念として贈呈頂いた銀盃に注いで頂いたお酒の味が何とも美味しく感じられ ました。

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土田学校長との稽古
(還暦祝いの防大校章入り胴を装着)
第 33 回関東学生優勝大会
(日本武道館)
  
  

 剣道部での4年間が礎となり、奈良、奥尻島(北海道)、浜松、那覇、防大、春日(福岡)、檜町(東京)、ヒッカム(米国ハワイ州)、目黒、府中、市ヶ谷の各基地等にて 諸先生、諸先輩のご指導を得て継続できました。5段は那覇、6段は春日、7段は市ヶ谷の各勤務時に昇段させて頂きました。
 剣道6段以上の空自隊員による剣修 会の第5代会長を約7年間務めさせて頂きました。平成28年2月、平成27年度空自武道決勝大会では、剣道の部・審判長を務めさせて頂き、 同年5月定年退官となりました。
 平成28年6月、民間企業に再就職、事業所剣道部に入部しました。同剣道部では、稽古は、体育館付設道場にて、コロナ禍前は、平日は昼休みを中心にほぼ毎日約15分、 コロナ禍に入ってできない時期がありましたが、現在は、在宅勤務等の関係から週2回程の状況が継続しています。定年退官に伴い、東京都剣道連盟(都連)隷下の東京都 自衛隊剣道連盟/関東自衛隊剣道連盟(関自)所属の自衛隊東武會に入会し、市ヶ谷剣道部の稽古に参加、関自理事、都連自衛隊評議員として、定期会合等に参加させて 頂いています。
この他、月1回開催の稽古会に参加、広く剣縁を得ています。 また、令和5年度は都連登録審査員の資格を得て、令和5年11月に3段~初段の昇段審査を経験させて頂き ました。また、防大剣道部OBとして、防大剣道部の春季及び夏季合宿、寒稽古に数日参加を追求、学生と伴に汗を流し元気を頂いています。
 令和4年4月からは、防大剣道場を修練の場とした共通体験を組織基盤とする剣友会の理事長として、各種事業(活動)に携わらせて頂いています。令和4年12月の 創部70周年記念行事は、コロナ禍ながら、全国からOB約50名、学生約60名の合計約110名が参加し、防大剣道場を中心に、OBと剣道部学生との対抗試合、合同稽古等が 実施されました。令和5年6月、コロナ禍中止になっていた東大・防大OB親善稽古会が4年ぶりに開催、東大学内にて双方合わせて約50名が参加して、対抗試合、親善稽古、 懇親会が開催され、交流が図られました。 

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70 周年記念行事集合写真
  
  
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70 周年記念対抗試合 70 周年記念合同稽古

終わりに


 剣友会主要事業に年会誌『銀盃』の発行があり、29期生卒業時の『銀盃十九号』(昭和60年6月発行)に土田学校長ご寄稿の「一生の道‟剣道”」が掲載 されて います。ご寄稿は、冒頭、若木のような29期新入生の野太い最上級生への変貌を「鍛錬の賜物」と評された後、剣の道はむしろこれからで、まさしく一生をかけて の道で あることを忘れないで欲しいと強調され、次の5項目を上げて補足されています。(補足は省略)

〇剣の道の第一の要諦は、“心を正す”ことにある。
〇剣の道は、諸君の将来の任務遂行上、必要とされる精神要素のすべてを具備。
〇剣の道は、議論ではなく、実践にある。
〇真理は、平凡な事実の中にある。
〇己れの“剣”に淫(いん)する勿れ。

 ご寄稿は、最後に、任務や病気等により剣道から離れ、中断を余儀なくされても、一生抱いてゆける、又抱いてゆくべきは、“心の剣”であり、機会が あれば、再び体調を 整えて道場に姿を現し、技の巧拙は二の次にして、心境の錬磨に汗を流すことの仕合わせを決して忘れないで欲しいと結ばれています。

 土田先生は、平成11年7月4日、77歳でご逝去の直前迄、後進の指導をされ、正に一生の道“剣道”を実践されました。今後も、剣道修行の道標として 取り組ませて 頂きたいと思います。土田先生の墓石は、かつては秋田にあったようですが、現在都内在住の奥様の絹子様からご親族を含めて墓参の都合を考慮して 埼玉県所沢市内の 霊園(所沢聖地霊園)に改葬された旨、ご教示を頂きました。所沢市は、奇しくも私を剣道に導き励ましてくれた伯父(昭和63年警視庁剣道指導室 副主席師範で退官、 平成24年に84歳で他界)が長年在住した地です。
 いつまでできるかわかりませんが、これまで、ご指導を頂いてきた諸先生、諸先輩に 感謝しつつ、剣道を一生の道として、剣道最高位である8段昇段を目標の一つに おいて取り組ませて頂くと伴に、自分の剣道の礎を作って頂いた防大剣道部の発展を 祈念しつつ、微力ながら取り組ませて頂きたいと思います。

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