同窓生は今

今人生、真っ盛り ~28期(陸)~(1)

2022.12.28

「目指すはお達者クラブ!」

  田浦 正人(28期 陸上)

 「うちの部屋から選挙で決める役職に就くものを出すぞ!」
 約40年前、第343小隊312号室の寝室で二見室長が突然言い出しました。ご案内のように、勤務学生は学校側が決めますが、選挙で決める期生会長、校友会委員長、綱領委員長などは、その気になればなる事ができ、その仕事に就くことによっていろんな経験を積むことができます。その結果、成長することができるというお話でした。

 第1学年田浦学生は、「室長、とんでもないことを言い出したな。卓球部と学生舎生活で、ただでさえ忙しいのにそんな余裕はないよ。」と思っていました。しかし、第2学年になって、期生会長の選挙の際、第4大隊の同期に祭り上げられ立候補することとなりました。当時、第4大隊から学生隊学生長は出ないだろうから、選挙モノは第4大隊が取るぞと盛り上がり、立候補者のいない大隊を抱き込んで選挙に臨んだのを覚えています。この作戦が功を奏し当選は果たしましたが、祭り上げられただけで、確固たる信念もないままに当選してしまいました。

 室長が言ったから期生会長になったわけではありませんが、頭のどこかに残っていたのでしょう。後に、同部屋だった間瀬君が、校友会委員長になったのも室長の言葉の影響があったと思います。「三つ子の魂百まで」ではありませんが、室長の偉大さと寝室の夜話効果だと言っても過言でありません。祭り上げられた関係上、一生懸命務め上げ、それなりに成長させていただきました。第3学年の時、卓球部で主将になる事だし、そろそろ期生会長を下番しようと考えましたが、立候補する者が誰も居らず、「田浦でいいんじゃない!」との前向きとはいえない雰囲気のまま期生会長を続け、卒業することになりました。

 絶大なる信頼を得ていたわけでもなく、他に誰もいないからとの理由で期生会長を続ける事となりましたが、卒業後は、「言い出しっぺ」役を自任し、卒業10周年や20周年など、定期的に同期生が集まる機会を提供する事と同期のご不幸の際には供花をお出しする事を最低限の任務と定めて活動してきました。お陰様で、周年記念の同期生会は、その時々の東京勤務者の助けを借りてこれまで何度となく開催することができました。また、残念ながら志半ばにしてこの世を後にした同期には、「防衛大学校第28期同期生一同」との名でお花をお供えさせていただきました。ご遺族や参列された方々からは、感謝のお言葉をいただいています。

 令和4年の春、山村海上幕僚長の勇退を最後に、再任用の同期は残っていますが、28期はいわゆる現役を全員が終えました。「任重く、道遠し」と言いますが、志半ばでこの世を後にした者、任官しなかった者、途中で退職した者も含め、まさに同期約400名全員で国防の任を全うできたのだと思います。勿論、殉職された同期もいますが、幸いなのは、一人の戦死者も出すことなく、国防の任を全うできたことです。この大きな区切りとなる令和4年度に同期全員での任務達成を祝い、全国規模の同期生会を計画しています。同期全員の還暦祝いを趣旨として同期生会を企画しましたが、コロナもこれあり、延び延びとなっていましたが、そろそろ同期生会をやろうとの機運が盛り上がってきましたので、決行する運びとなりました。

 これまでの周年記念の同期生会では、現役の者、民間の者も含めて「同期みんなで国防の任にあたろう!」と盛り上がっていました。これからは、「目指すはお達者クラブ!」の掛け声のもと「同期と呑むお酒は美味しいねぇ!」と盛り上がりたいと考えています。現役時代は、仕事の事が話題の中心になる事が多かったと記憶していますが、最近は、孫の話、不健康自慢?に変化してきていると思います。それはそれで、良いと思っています。だから「お達者クラブ」なのです。同期で集まれば、一瞬にして約40年前にワープすることができます。このかけがえのない同期の集まる機会をできるだけ長く、また多く設けることが、私の「今人生、真っ盛り」なのかもしれません。そして、最後の一人になるまで、同期生会費が続く限り、「防衛大学校第28期同期生一同」のお花をお供えしていきたいと考えています。

 令和5年3月5日グランドヒル市ヶ谷において、「目指すはお達者クラブ!」と大声で乾杯できることを夢見ている今日この頃です。

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