同窓生は今

今人生、真っ盛り ~27期(空)~

2021.11.22

「人生真っ盛りへの道」

  廣兼 利伸(27期 航空)#27F1.jpg

 平均的な同期の皆さんは、自衛隊を定年退官し、「第2の人生、真っ盛り」という心境の方が多いのではないかと思います。39歳で退官し、父親の建設会社を継いだ私にとっては39歳から50代半ばまでが「第2の人生」で、今は「第3の人生、真っ盛り」といった心境です。今回寄稿の機会を頂きましたので多くの皆さんとは一味違う真っ盛りへの道と近況をお話ししようと思います。

1 第2の人生

 空幕広報室を最後に39歳で退官した私は、父親が社長を務める土木会社を継ぐべく郷里の山口県岩国市に帰りました。父親は職人気質の人で、現場にいれば満足という人でした。腕と度胸で仕事をこなしていたため、売り上げと利益が不安定な状況でした。私が帰った時の負債は4000万円あり、これを返済していくことと入札への参加が当面の課題でした。周囲の助けもあり、6年目に小さいながらも入札で公共工事を受注することができるようになり、7年目には負債を全て返済し、12年目には公共工事を中心に1億円の売り上げを記録するまで会社を成長させることが出来ました。

#27F21.jpg

 人生何が起こるかわからないものです。喜んでいたのもつかの間、この年の8月、家内が若年性アルツハイマー病と診断されました。当初は軽い物忘れと意欲の減退程度だったので高をくくっていたら、翌年には子供のお弁当が作れなくなり、診断から2年で「要介護1」、4年で「要介護2」、5年で「要介護3」と認定されました。
 この頃になると介護の負担が増え、会社経営と介護の両立が難しくなり、土木業からの撤退を決めました。その後は急速に症状が進み、7年目で「要介護5」になるまでの2年間は、てんかん発作、徘徊、弄便など様々な認知症状が現れ、オムツ交換の時に噛みつかれるなど、なかなかスリリングな毎日を過ごしました。問題行動等が原因で介護サービスが受けられなくなったことから入院を決め、以来家内は6年半に亘る入院生活を送ることとなりました。

 入院後はほぼ毎日、往復2時間かけて昼食の食事介助と洗濯物の交換に通っていたので、ほぼ無収入の時期がしばらく続きました。そんな折、子供の勉強を見てほしいという依頼があり、知り合いの子供さんの勉強を夜の時間に見ていると、二人三人と生徒さんが増え、勉強を教えることで何とか生計が成り立つようになりました。
 家内が入院して介護の負担は減ったのですが、今度は病院からの電話が鳴るたびにドキドキさせられる日々が待っていました。発熱、嘔吐、てんかん発作、誤嚥。最初は軽度でしたが段々と深刻になり、何度も危ないかも?という状態に陥りました。

2 第3の人生

 精神的にも肉体的にも弱っていた時期、陸の鈴木正次郎君たちが志賀高原にスキーに誘ってくれたのが転機となり、もう一度積極的に自分の人生を切り開く意欲が戻ってきました。平成30年からは、30年ぶりにスキーを再開し、それ以降毎シーズン60日以上ゲレンデに出ています。令和元年には家内と行く予定だったヨーロッパを家内無しではありましたが2週間かけて旅行してきました。

★志賀高原スキー場 ★マッターホルンを背景に
 

 令和2年からは、35歳で始めたテニスに本格的に取り組み、年間150日以上テニスコートに立っています。熱心な?練習の成果が認められ、令和2年・3年と山口県テニス大会の岩国市代表チームのメンバーに選んで頂きました。

★防大同窓会テニス大会

 そうしている間にも家内の病気は進行し、いよいよ最期が近づいたため、家族で最期の時間を一緒に過ごすことを決断しました。思い悩んだ挙句の決断でしたが、お陰で令和3年9月27日に退院し10月2日に穏やかに息を引き取るまで、仕事を休ませた娘たちと学校を休ませた孫たちと一緒に、家内を含めた家族8人で、自宅での濃い6日間を過ごすことが出来ました。
 そんな時期にこの原稿の依頼があったのも、「まだまだ老け込むには早い!」という同期からの有難い激励であったと感謝しています。
 現在では学習塾の生徒さんも増えて、小学校4年生から高校3年生まで20数名の子供さんの勉強を見ています。個人指導にこだわっているため、これ以上生徒さんを受け入れられないのが悩みの種です。受験がうまくゆけば、今年度は京都大学と北海道大学に一人ずつ合格していることと思います。
 地域に貢献するため、帰郷後すぐに入団した岩国市消防団(団員定数1685名)では副団長を拝命しています。令和3年に総務省消防庁から発出された通知を受け全国的に団員の処遇改善が進められていますが、人件費だけで1億円以上の予算が必要な我が市の消防団としては、なかなか簡単には物事が進まず、落ち着くまでには数年が必要になるかと考えています。幹部の定年は70歳ですので、もうしばらく後進のために尽力したいと思います。

3 男盛り

 #27F61.jpg地元にいる高校の後輩が誘ってくれたので、空の深瀬尚久君と第2術科学校(浜松基地)時代にコンサートを行って以来となるフォークのバンド活動も再開しました。これを含めると、現在の主な活動は、「個人指導の学習塾」「消防団」「テニス」「スキー」「フォークバンド」となります。
 確かに今までの人生でこれほど幅広く活動していた時期は無かったなと改めて感じました。 人生真っ盛りのパワーの源は何かと問われるならば、私の場合それは「チャレンジ精神」です。また、それぞれの活動が継続できているのは、努力に対して「リターン」をしっかり頂いているからだと思います。この寄稿もチャレンジの一つとしてお受けしました。

 これからも「来る者は拒まず」の精神で、いろいろなことにチャレンジし、出来れば人生最後の日まで「相変わらず廣兼は人生真っ盛りだねえ」と言われる日々を過ごしたいと思います。

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