防衛大学校関連

学校長に聞く

2021.07.29

「さまざまな大学とさまざまな教え方--体験的比較論」

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 防衛防衛大学校長
    久保 文明

 本年4月1日付で防衛大学校長に着任しました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 自己紹介を兼ねて、これまで学生・教員(以下、教官も教員で統一)として経験した大学教育について、振り返ってみたいと思います。

 東京大学法学部で受けた教育は、毎学期ゼミを履修したために少人数での学習もでき、個人的にはそれほど悪いものであると感じませんでした。ただし、よく法学部砂漠などと揶揄されますように、ゼミを除くと600人以上の学生が一緒に講義を聞き、その場での質疑応答はほぼ皆無という授業形式が一般的でした。

 筑波大学に専任講師として就職して、教育についての認識は大きく変わりました。学生数が少なく、教員と学生の関係は親密でした。例えば政治学専攻においては、教員6人に対し、学生は1学年で10-15人程度。学生の関心に応じて自主的な読書会に付き合ってあげる教員もいました。私は教育研究科というところでも授業を担当しましたが、これは中学や高校の現職教員を再教育するために設置された修士課程であります。教員には多数の教育学の専門家がいましたが、中学・高校の教員経験者も含まれていました。社会科教育、英語教育などという形で専攻が分かれていて、定期的に専攻対抗のソフトボール大会も開催されました。現場の教員出身のある長老の先生はまさに校長先生といういで立ちで上下白のトレパンに身を包みつつ、ずっと立ったまま朝から夕方まで社会科専攻チームを応援していました。脱帽せざるを得ませんでした。ちなみに、私は終日見ているだけの応援は耐え難かったので、試合に参加させてもらいました。

 その後、筑波大学から研究休暇をもらい、2年間コーネル大学にて研究する機会を得ました。歴史学部および政治学部のいくつかの講義やセミナーに参加させてもらいましたが、そこで驚いたのは、高名な教授たちが例外なく示した教育に対する情熱でした。とくにアメリカ現代史のリチャード・ポーレンバーグとアメリカ外交史のウォルター・ラフィーバーの2人は傑出していました。もともと記憶力がよいのかもしれませんが、ノートも教科書も持たずに教室に来て、何も見ずに流れるように、しかし、わかりやすくまたユーモアを交えて講義を行ないました。ポーレンバーグ教授にはなぜこのようなことができるのか聞いてみたことがありますが、講義の前には何時間か集中して、その日の内容をしっかり暗記するとのことでした。そこまでして暗記しようとすることはまさに驚きでした。
 定刻前に教室に行き、必要な板書を済ませておく教員を見たのも、初めてのことでした。アメリカではこれは珍しいことではありません。日本では遅れて教室に来る教員が多数存在します。

 1988年に筑波大学から慶應義塾大学法学部に異動しました。学生は3年生から4年生までの2年間を同じ教員のゼミに所属し、卒業論文と称されるゼミ論文を執筆します。ゼミ所属は必修ではないのですが、多くの学生は所属を希望します。ここで印象的でしたのは、教員がゼミ学生と公私ともによく付き合うことです。多くのゼミは合宿を年2回実施するので、学生は2年間で4回教員とともに小旅行を経験することになります。新歓コンパ、追いコン、新年会等飲み会もやたら頻繁に開催されます。教員によっては毎週ゼミの後に学生を飲みに連れ歩いていました(これは明らかにやり過ぎです)。教え子の結婚披露宴にも頻繁に招待されます。東大と比べると、教員が学生のために割く時間はかなり多いし、ゼミOBOG会が定期的に開催されるのも普通のことです。
 東大法学部のゼミのほとんどが1学期(すなわち3-4か月)完結であり、学生数がやたら多い場合もあり、コンパすら開かれないこともあるのとまことに対照的です。
 さて、2003年4月からその東大法学部で授業を担当することになりました。慶應でのゼミに慣れていたので、ゼミは1学期完結とせず通年で開講しました。2年間ゼミは制度的に不可能でしたが、通年であればゼミ論文の執筆を要件とすることができ、また学生とある程度親しく付き合うこともできます。3年から4年へと2年間履修してくれた学生もいました。

 このように、国による違いのみならず、大学によっても学部学生に対する教育の仕方は異なっています。防衛大学校の場合、夕食前に校友会活動があり、近くに店もないので、残念ながらゼミ終了後に飲み屋で一杯というわけにはいきません。しかし全寮制であり、学生40人程度に1人の指導教員が付いている点では、オックスフォード大学やケンブリッジ大学等のカレッジが提供している指導体制に引けを取りません。全体として少人数教育はかなり徹底していて、卒業研究までしっかり指導体制ができています。大学の使命も幹部自衛官の養成と明確ですし、就職活動の心配をする必要もありません。すでに海外留学の機会は多数提供されていますが、さらに増やせないか現在模索中です。

 私の指導教員の一人は斎藤眞先生でした。東京帝国大学の学生から海軍に学徒出陣しニューギニアで終戦を迎えられました。年若くても指揮官でした。ほぼ1年間帰国できず、現地に残された部隊をまとめるのに大変苦労された話を伺ったことがあります。何とか統率できるようになったのは、年上で屈強な部下たちと一緒に酒を飲みかわすようになってからとのことでした。この話を聞いたのは、学部4年生で参加したゼミの飲み会でのことでした。先生はついつい天狗になりがちな東大法学部生に対して、決して威張ってはいけない、同じ目線で部下と心を通わすことが肝要であるということを伝えようとしたのであろうと想像しています。東大法学部の制度は学部生には全体としてやや冷たいところがあるものの、恩師の言葉を思い出すと、ゼミに関する限り捨てたものではないのかもしれないと思います。と同時に防大から、このような部下の心を掴むことができる卒業生が今後さらに多数巣立って欲しいと願う次第です。
  着任して3か月弱しか経っておらず、まだまだ新参者です。ぜひともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

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