同窓生は今

今人生、男盛り(24期-その3)

2019.02.04

 「指揮官として自分がしてきたこと ~部隊、隊員をいかに元気にするか~」otoko24_03_01.png

   空24期 杉山 良行




 平成29年12月、現役を引退し今は防衛部門を持つ会社に再就職をしている。
 今回、防大同窓会HPに「今人生、男盛り」との内容で寄稿を依頼された。「男盛り」などほど遠い身であることは自覚しているので何を書くか悩んだが、副題/内容は自由とのことであったので自らの生涯のテーマと考えている「リーダーシップ」について、特に現役の時代、自分が指揮官としてどういう考えで何をしてきたか、を後輩に伝えたいと考えた。
 航空自衛隊(以下、「空自」)の後輩指揮官を見ていて有能な指揮官が多いことについて頼もしく思う。が、同時に自分を中核として部隊に一体感を与え、隊員のやる気を引き出している指揮官は少ないと感じている。航空自衛隊の更なる発展を考える時、隊員の士気高く部隊が一丸となって任務に邁進するよう指揮官が努力することは必須であると思う。この点、自分が指揮を執った部隊、基地は間違いなく隊員が元気でやる気を出し、活気のある職場となったということに自信がある。指揮は個性/パーソナリティにより千差万別であるのであくまで「自分はこれで上手くいった」に過ぎないが、防大生、卒業生/指揮統率に悩む後輩たちの参考になれば、と思って本稿を書く。ただし、全部を書こうとすると本稿では収まらないので自分の指揮統率が凝縮されている南西航空混成団司令(現南西航空方面隊司令官、以下「南混団司令」)の時のことを中心に記述し、別の指揮官として経験し参考にした事例を書き加えることとする。

 まず自分が部隊指揮をする基本として隊員をして「空自に入ってよかった」、「この基地で勤務できることが嬉しい」、「この職場が好きだ」と思わせる、言葉を換えると隊員に「幸せを与える」ことを目指してきた。当然の事として部隊指揮の大前提は「任務の完遂」であるが、これだけではつまらないと自分は考えていた。
 南混団司令に着任したのは平成24年12月である。この時期は同年9月に日本政府が尖閣国有化を宣言し東シナ海での中国の航空活動が劇的に活発化、どこまでエスカレーションするのか部隊は経験したことのない緊張感の中で任務を遂行していた。着任した私の示した指導方針は「部隊一丸」、部隊が置かれた厳しい環境の中、団結力を強め難局を乗り切ろうということであり、それを実現するために小項目として①自分の役割を果たせ②前向きに③明るく④仲間を大切にする-を示した。それぞれ小項目を説明すると

① 自分の役割を果たせ
  まず「一人前の仕事=業務+チームの中の役割を果たす」という考えを徹底した。単なる業務だけをすれ
 ばいいのではない、自衛隊は常に「チームで働く」中で、「チームの中での役割を果たさない、あるいはチ
 ームワークを乱すやつは仲間とは認めない」ことも明言し、特に「故意の事故」や「犯罪」などは「チーム
 ワークを乱す」最たるものであり絶対に許さないという共通意識を持つよう促した。
  「チームの中での役割」は各自で違う。幹部と准曹士/先輩と後輩/先任と後任/アクターと応援団、な
 どいろいろな切り口があるが自分の役割を考え見いだしチームに参画、貢献することを要望した。この「役
 割」という中で「准曹士組織の重視」ということを打ち出した。
  准曹士は部隊の中での大多数であり在隊期間が長く部隊の重心であり、部隊の伝統や文化はその集団に宿
 る。その観点から、あくまで指揮官の権限の中ではあるが「自立して健全性を維持できる准曹士組織」を作
 ることが安定した良い部隊作りに繋がると考え、それを実現するためには上級空曹が中堅空曹を、中堅空曹
 が初級空曹や空士を育てるという後輩育成の好循環を作りたいと考えた。
  蛇足ながらこれは南混団司令の前に勤務した開発実験集団司令官時代、同集団では新任2曹の集合教育を
 上級空曹たちが交代で計画、実行することで上級空曹の意識向上に実績を上げているのを目の当たりにして
 参考にさせてもらった。「上級空曹は准曹士の中の指導者たちであり、准曹士先任は上級空曹の中のリーダ
 ーである」、こうした考えを普及し定着させるために「上級空曹集合訓練」を新設し「准曹士先任制度」の
 改善を行った。「准曹士先任制度」の改善では従来、同列に扱われていた「服務指導」と「部隊間交流」の
 うち「服務指導」が上位にあることを明確化した。現在、この二つの施策は空自全体で継続して行われてい
 て成果を得ていると認識している。

② 前向きに 
  時代は「不作為の罪を許さない」。何が起きるかわからない南混団のおかれた情勢の中、「倒れるなら前
 に倒れろ」、「空振り三振はOKだが見逃し三振はNG」、「空振り三振した者は見捨てない」、ことを繰り
 返し強調し徹底した。部下たちはよくこれに応えてくれたと思う。

③ 明るく 
  明るい部隊は運も味方する。明るさ、は言葉を変えると風通しの良さであり、「言うべきことが言える」
 それを「聞いてもらえる」ことだと思う。聞いてもらえることが認知欲を満たし、不平不満のない明るさを
 作り出す。また日常的に不足事態対処を旨とする運用部隊では「気が付いた者が口にする」「気になったら
 口にする」ことが重要であり、日頃から風通しの良さを心がけることが重要である。このことは指揮官職と
 して初めて勤務した飛行隊長以後、指揮官としての経験の中で定着した考えである。

④ 仲間を大切にする
  仲間を大切にする、これはチームワークの基本であるが、私は更に上を目指して欲しい、と要望した。ど
 ういうことかと言うと「いいチームになりいい仲間になるほど仲間が痛い目にあうことを辛く思う」ように
 なるが、裏返すと「自分の痛み(事故、失敗、自殺など)はいい仲間をつらくさせる」ことになる。このこと
 に思いを致し、「仲間を大切にする」ことは「自分を大切にする」ということを自覚し、実践することを求
 めた。また小集団活動を奨励した。「部隊の大変な時に小集団活動か」と思われる向きもあろうかと思うが
 だからこその小集団活動である。「部隊一丸」となるために「はみ出す者を作らない」、指揮官としての
 「掌握」という観点からである。

 同時に指揮官には自ら何らかの小集団活動に参加するよう厳命した。奨励だけして自分がしないのでは隊員は本気にならない。ちなみに自分の小集団活動は「フットサル」、「仲間といい酒を飲み語らう」、「ニックネームで呼び合う」であり、これは平成17年、松島基地司令時代から引退するまで変わらなかった。「ニックネームで呼び合う」は副指揮官、副官室はもちろん、司令部や隷下部隊でも希望者には参加してもらったが仲間意識を育てるのには大変効果的である。また脱線して恐縮だが松島基地司令の時代、自らのフットサルという小集団活動に基地全体を巻き込んだ。所在隊も含め、大きな所在隊は単独で、小さな所在隊は自分所属の司令部チームに加わってもらい、大会を実施した。なぜフットサルだったか?少人数でできること、狭い場所でもできること、冬の厳しい松島基地でも室内でできることなど利点が沢山あったが、一番の理由は自分がサッカー好きで得意だったからだ。この点、若い後輩たちには今やっているスポーツや趣味は是非とも続けることを進める(この時に限らずサッカーが私の自衛官人生において与えてくれたものは自分にとって限りなく大きい)。フットサルという共通の話題ができて今までなかった人のつながりが沢山生まれた。
 数の少ない女子隊員の団結意識を育てるために希望者による部隊横断的な女子チームを作り、大会に参加させた。(ちなみに女子チームは松島に続き入間、那覇で立ち上げたがそれぞれ全自衛隊女子フットサル大会に出場するなど活発な活動が続いている。またそこから転勤した女子隊員が転出先でチームを立ち上げるなど普及効果は非常に大きかった)女子チームの出現は男子隊員たちを更にその気にさせたように思えた。松島基地の所在する東松島市は小さな町だが週末、町の居酒屋などに行くとたまたま行き合わせた隊員同士で話ができるようになった。基地全体がその気になってくれて基地全体の一体感が育った。副次効果として業務事故/服務事故が基地レベルで減った。なぜ事故が減ったのか、ない理由を証明するのは難しいが当時の結論は「事故を起こして仲間たちに迷惑をかけられない」という意識が生まれたことではないか、と結論づけた。小集団活動が持つ効果といかに指揮官の影響力が隊員の元気につながるか、を思い知った基地司令の時代であり、自分自身の指揮を確立していく大きな転機となった。

 以上が、南混団司令としての指導方針であり、現役の後輩から「司令官の指導事項、自分の指導事項として使わせてもらっています」という声を聴くと大変に嬉しい。が、指導方針の内容とともに本当に大事だったのは「伝える努力を本気でした」ということである。
 どんなにいいことを思い考えても伝わらなければ思っていないのと同じ、考えていないのと同じ」であり指揮官にとってコミュニケーション能力が一番大事だと思う所以である。
 指導方針は南混団司令以降、総隊司令官、空幕長の時代も変えずに一貫して視察の際に部隊に話をして回った。南混団は総員3000人程度の小さな方面隊だが大多数が私の指導方針を直接聞いている。

 総隊司令官の時も空幕長の時も部隊視察では同じ話をした。空自の一般的な視察は状況報告/施設巡視/主要幹部との昼食会/訓示/主要幹部との夕食会、というものだと思うが自分の場合は壇上からの訓示の代わりの訓話(全体40分、幹部20分、准曹士20分)と体育訓練としてフットサルを行い、夕食会は隊員たちとの懇親会とした。一般的に行われる壇上からの訓示をしなかったのはそれでは自分の考えが隊員に浸透しないと思ったからであり、訓話の形で十分な時間を使い指導事項を直接隊員に説明し自分の意図を伝えた。またフットサル/懇親会は自分の小集団活動をみんなに実践して見せることに目的があり訓話の中でもそれを伝えた。隊員には「親分(司令官)は本気で小集団活動を重視している」ということが伝わったと思う。また指揮官である自分と准曹士先任とで「同じことを言う」ことにも心がけた。これには日常的に意見交換、情報共有をしておくことが必要で必ず少なくとも週一回は1時間ほど時間をとって准曹士先任と話をした。「同じ事を言う」、このことは「親分と先任は一枚岩だ」ということを隷下部隊、隊員に認識させ先任に対する尊敬の念、信頼を高めるのに絶大な効果があったと思う。また指導事項とは直接関係ないが部下のシニアリーダーには特別な配慮をした。通常、シニアリーダーには相談相手がいなくて孤独であるが、そのメンターに自分がなるということである。特に本人の評判、評価を伝え指導する-いい評判だけでなく好ましくない評判も-ことに力を注いだ。好ましくない評判をまわりは知っているのに本人だけが知らない、ということが間々起きる。それは本人にとっても部隊にとっても不幸なことだ。結果、本人には改善するべきことが伝わり部隊運営に好結果を残したと思う。また部下指揮官との信頼関係醸成にも大きな効果があった。

 大変長い話になった。しかし全然語りつくせていないというのが実感である。読んでくれた後輩には何らかの参考になれば、と思う。また「興味がある」と思う指揮官には連絡をもらえれば個人的な相談にも乗るし、部隊で話をしてもいいと思う。後輩の役に立ちたい、その一心である。

前の記事  次の記事