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同窓生は今

今人生、男盛り(24期-その1)

2019.02.04

        「 ハイチ - 男盛りの一人旅 - 」otoko24_01_01.png

   陸24期 佐藤 正紀


 国連を退官して2年目の去年、私は大変有意義な経験をさせてもらった。
 退職後、多くの皆様と同様に、自分の生き方をどうすればいいのか悩んだ。結局、私の住んできた地域に何かお返しをしようということで落ち着いた。そこで、地域のロータリークラブでどんな活動をしているのか見てみることにした。知り合いのヨット仲間の推薦でビジネスを持っていない私でも快く入会させて頂いた。そこでは、ハイチで小さな学校を支援しているクラブメンバーの一人に出会うことができた。去年、彼のグループの一員として、ハイチでボランティア活動をさせてもらった。
 参加する前は、一般市民によるボランティア活動に懐疑心をもっていた。ただお金をばらまき、一時的な喜びに満足し、住民を開発依存症にさせているのではないかと疑っていたからだ。
 在職中、アジア・中東の人事担当のため、直接ハイチに行く機会はなかった。しかし、皆様がご存知のように、日本は自衛隊の施設部隊をこれまでにない早さでハイチに派遣した。そんな施設部隊の活躍を政治部の同僚からよく聞かされたものだ。通常であれば、このような自衛隊の派遣に日本政府は、何か月もの時間を要した。国連から見ている私にとり、日本政府の優柔不断な対応を歯がゆく感じたことが幾つもあった。同期生の番匠君がニューヨークを来訪した際に、ハイチへの電撃的な部隊の派遣に、多くの同期生が関与した経緯などを聞き、私は素直に嬉しかったし、同期を誇りに思った。そんなこともあり、私はハイチに興味を持つようになっていた。
 私のハイチへの興味は、もう一つの理由があった。2010年のハイチの地震で、国連が借用したビルが崩壊した。国連で一緒に働いていた元上司、同僚、現地職員、部隊隊員ら、100名近くの平和維持活動関係者たちがこのビルの下敷きになり命を落した。亡くなった上司、同僚の顔を思い浮かべながら私は、現地で冥福を祈りたかった。

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写真「ハイチ地震でのビル崩壊」

 さらに、国連が関与したコレラである。地震が起こった同じ年、私が渡河したアンチボネ川の流域を中心にコレラが発生し、一万ものハイチの人達が、コレラで亡くなった。コレラの原因は、アンチボネ川の上流に駐留していたネパール部隊の隊員から出たらしい。現地の下請け業者が、部隊の排せつ物を処理せず、そのまま川に流したのが原因のようだ。残念なことに、国連は、つい数年前までその過失を認めようとしなかった。 
 ポート・オ・プリンスから、途中で一泊しながら車で下車地点まで移動した。道路は穴だらけでそれを避けるたびに激しく揺られ気分が悪くなった。そこからは、学校の文房具などをロバの背中に積み、自分の足で歩き、今にも沈みかけそうな木船に乗り、ロバと一緒にアンチボネ川を渡った。着いた所は、電気も水道もないハイチの小さな農村であった。

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写真「ロバと一緒にアンチボネ川を渡る」

 当該ボランティアグループの学校支援には、いくつかのプロジェクトがある。その一つは、ゴート(やぎ)繁殖活動である。授業料が払えない家庭に雌のゴートを貸しだし、子供が出来たらそのゴートの子供を自分たちの家畜にする。ゴート一匹を売れば、年間の授業料を賄う仕組みになっている。もう一つの活動は、飲み水を供給する井戸である。生活水・飲料水を手に入れるため農村の人々は、毎日数時間を費やしている。そこで、グループは、学校内に井戸を掘り、それを地元の人々に売り、学校の運営資金にしようとするものである。
 私が行ったとき、試験的に井戸水を出してくれた。「水が出る」という話を聞いた住民は、夕方にもかかわらず数分の内に数十人が集まった。何十個というポリタンクがあっという間に水であふれた。村の人々の笑顔は、格別だった。
 グループが重視したのは、住民との人間関係である。同じ学校にコツコツと八年間通い続けた。だから、住民から信頼を得ていた。さらに、彼らの活動は、住民主導である。グループは、助言はするが、決定権は住民にある。管理・運営も住民がする。だから、住民も受け身ではなく、主体的で真剣であった。
 しかし、一番印象に残ったのは、グループの仲間の情熱である。私より年を取っている人が多いが。年齢の差などは全く感じない。むしろ私より気力があった。泥水の中を平気な顔で歩く。衛生環境劣悪な場所での寝泊まりを苦としない。何が入っているのか分からない地元の人が作った料理を美味しそうに食べる。なにより、児童生徒たちと再会した時の喜び方は、これまで私が見たことがないほど、純粋であった。

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写真「ボランティアグループが造った井戸に集まる村の人々」

 先般、地元の大学でハイチ国連平和活動(MINUSTAH)について講演させてもらった。その聴講者の中にハイチ出身の学生が数人いた。それらの学生のほとんどは、MINUSTAHを評価していなかった。
 この旅行で私が、思ったことは複雑で言葉にすることは難しい。比較するかのようにMINUSTAHの事を書いたつもりはない。ただ単に、ロータリークラブで知り合った友人たちの奉仕活動がまぶしく見え、羨ましかった。その反面、国連本部で私を厳しく指導してくれた元上司、いつもにこやかに接してくれた同僚がハイチで命を落としたことは途方もない究極の貢献である。しかし、ハイチの人々から彼らの努力が忘れ去られようとする現実を見てやり切れない思いである。せめて、コレラの過失を即座に認めていれば、状況は少し変わったかもしれない。それが残念でならない。
 国連は、これまで数多くの平和維持活動を立ち上げてきた。成功の基準をどこに置くかでいろいろ評価が分かれるが、おおむね多くのオペレーションで成功してきたと私は確信している。特に自身が参加したナミビア独立支援グループやカンボジア暫定統治機構は、誇りに思っている。これからも元上司、同僚の志を絶やさないためにも、機会があるごとに国連の平和維持活動をより多くの人に伝えていきたいと考えている。

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写真「ボランティア仲間」

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