同窓生は今

今人生、真っ盛り ~29期(陸)~(2)

2024.03.21

「人生流転」

  野村 佳正 (29期 陸上) 29A201.png

 2023年4月から銚子市に所在する千葉科学大学危機管理学部で教授として教鞭をとっています。名勝「屛風ヶ浦」を望む研究室で思うことは、「人生は流転する。 それを乗り越えることができたのは防大教育と同期のおかげだ。」ということに尽きます。

 私は戦車連隊長に憧れる機甲科幹部として20代を真駒内第11戦車大隊や第11偵察隊で過ごしました。冷戦さなかの北海道第一線部隊で過ごしたことは今でも夢に 出てきます。そして幹部学校、富士学校、戦車教導隊中隊長を経て、陸幕それも補任課選抜係長となり選抜制度の改革を命ぜられました。人計課や教育課等の同期に 支えられ何とか職務を全うできたと喜んだ矢先、同期に戦史職を勧められました。これが第一の流転でした。

 戦史職は自分に合っている分野だと思い、快く引き受け防衛研究所へ。軍制研究をやりたいと考えていたのですが、東チモールPKOの関係で占領地軍政を研究する こととなりました。国内史料だけでなく、現地にも飛んで研究をまとめ、先輩である中谷元大臣への報告も終わり閣議を経て無事PKO派遣へ。達成感はあったのですが、 大臣報告に恥ずかしくないような専門家にならなくてはと防大安全保障研究科(修士)で学び直しました。
 防大では充実した時間を過ごせました。勉強は週に200頁ほどの原書購読と発表があり大変厳しいものでしたが、ホッケー部の面倒もみよとのOB会からの厳しい指導 があり、つい夢中になりました。まさに青春のやり直しでした。卒業後は防研に戻ったのは良いのですが、1年で第1混成団第1科長(人事・総務)として沖縄に、これが 今後9年にも及ぶ単身赴任の始まり、第二の流転です。

 沖縄では改編準備が待っていました。大変な補任業務でしたがここでも同期に助けられました。4科長、監察官、広報室長と同期が就いてくれました。そのような 折、徳之島ヘリ墜落事故が発生したのです。部隊が深い悲しみに包まれている時、「安倍総理が葬送式に出席の意向」という情報がもたらされました。大変ありがたい 話でしたが、第1混成団で対応できるかという難問にぶち当たりました。ここで、輪倉西方総監の「総監部を空にしてでも沖縄を助けろ。」という鶴の一声で、全面的な 支援をいただき、また在沖縄海空自衛隊の協力により、何とか終えることができました。関係した皆様に心から感謝しています。
 近畿中部防衛局防衛補佐官を経て、防大に新設された安保研博士課程に入校を命ぜられました。戦史を極めるには不可欠との思いでしたが、自分の考えの甘さに叩き のめされることになります。3年で博士をとるというのは無謀に近かったのです。受験者12名中入校を許されたのは6名、その6名のうち卒業できた者は僅かに3名でした。 この3年間は防大に泊まり込みで自宅に帰ったのは6日くらいに過ぎませんでした。発狂寸前で卒業でき、その後は防大教授、防衛研究所主任研究官を務めることができ ました。そして研究成果を『「大東亜共栄圏」の形成過程とその構造』として出版し、自衛隊勤務に感謝と満足をもって別れを告げることができました。退官後は郷里 の福井に戻って大学の教員をやりながら実家の寺を継ごうと考えていましたが、そんなに世の中甘くはありません。援護からは京都府精華町で危機管理監の職を勧めら れました。第三の流転です。

 精華町危機管理監の職は大変厳しくそれだけに思い出深いものでした。なぜなら、府や県レベルだと守備範囲が訓練に限定されますが、町レベルだと人材が払底 しており、政策の決定、議会答弁、計画立案等全てやらなければならないからです。大変である一方、これを今まで培った安全保障理論を政策に適合させるチャンスと 捉えました。そこで国土強靭化地域計画、地域防災計画、避難行動計画、国民保護計画、新型インフルエンザ行動計画等すべて改定し、実情に合わせることができました。 そして、この成果を学会で発表したのです。その成果が認められたのか、そんな折、千葉科学大学危機管理学部から教授招聘の話をいただいたのです。関西から関東へ、 実務家から教員へ、第四の流転です。

 招聘に応ずるため職務を遂行しつつ、シラバスの作成や引っ越しの準備に追われる中、実家で大変なことが起きていました。檀家減少のため宗教法人を解散すると いう話です。残りの僅かな檀家さんは兄の寺で引き取ってもらい廃寺とし、本堂等は取り潰し更地になりました。そんな中、施設入所中の実母が急死し、葬儀も何とか 済ませ、銚子に赴任したわけです。もう自分は帰るふるさとさえもなくなったなあと呆然としながらも、精華町にいるうちに諸計画の策定も終わり、実家の片付けも 終わったのは幸せなことだと思うようになりました。

 現在は、寄る年波を感じつつも、学生に手を焼き、研究に熱中しながらも、千葉県で初の大学ホッケー部を設立すべく全国を飛び回っています。まだまだ青春、 ここまでこられたのも防大教育と同期のおかげ、感謝です。

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