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旬間広報1961.2.10記事「東京-箱根間往復駅伝」

2025.10.25

防衛庁発行の古い部内誌「旬間広報」に防衛大学校箱根駅伝初参加の記事を見つけました。
今では想像できない当時の雰囲気が匂い立つものでしたので掲載します。by Goto

旬間広報 Vol.3 No92 1961.2.10 p41~44

(4)東京-箱根間往復大学駅伝

 初出場の意気に燃える防衛大
  盛り上がる"敢闘精神"
   どこまで生かすチームワークの真髄
    選手はめくら蛇 ただ"出場"に生きがい
    (東京タイムス12/27)

 防衛大の駅伝メンバー(円内数字は学年)
  1区 尾辻②  2区 中村均③  3区 甲原①  4区 谷野①  5区 青山④
  6区 中山①  7区 中村暁②  8区 高橋③  9区 東④   10区 原田②
  補欠 立石④、及川③、中川②、小川①

 新春のトップを飾る第三七回東京-箱根間往復大学駅伝に異色の防衛大が初出場する。チーム編成二年目にして"天下の嶮"に一般大学選手と健脚を競うわけだが同大学は駅伝だけでなく、ラグビー、サッカー、アメリカンフットボールなど多くのスポーツで目立った活躍ぶりをみせ大いに注目されている。一日七時間ビッシリつまった学科をもちながらの躍進ぶりの根源は一体どこにあるのだろうか。(牧野)

●集団生活の強み

 かつての軍港横須賀からバスで二十五分、三浦半島観音崎の手前つづら折りになった道を登りつめた山の上に六十七万一千平方メートル(約二十万坪)の敷地を持つ防衛大がある。学校で生徒に最も要求されるのは規律ある共同生活である。それは個人に生きるよりも集団に生きるという印象、スポーツでいえばチームワークである。防衛大の特徴はここにあるといえる。防衛大が団体競技を得意とすることもよくこの性格を表わしている。
 スポーツ熱は学園のすみずみまでいきわたり、全校生二千名中千名がラグビー、サッカー、米蹴などの二十四部に入っており、残る千名も一週に二度かならず特別体育としてどれかの種目に参加しなければならないほど重要視されている。
練習は授業後
 健全なる精神は健全なる肉体にやどるとの言葉の通り、健全なる自衛官に育成するためには、"まずスポーツから"のうたい文句をかかげ、敢闘精神とチームワークを学びとることが学校の方針のようだ。だが防衛大の"強くなる条件"には限界がある。全校生徒が寄宿舎住いで朝6時半起床、8時~午後3時、4時まで授業、夕方は7時20分~9時50分まで自習と一日のスケジュールはビッシリつまっている。したがって、スポーツの練習時間は授業が終わった午後4時~5時半まで。陸上競技部の青山主将は「他校の学生のように自由意志で練習ができる学校がうらやましい。強くなるためにはもっと練習時間がほしい」となげいているくらいだ。ここでは、スポーツのために授業を犠牲にすることは許されない。
 他校が高校の一流プレイヤーを入れてチームを強化しているのに対して防衛大はそれもできない。ほとんどの選手が防衛大に入ってきてから養成される。だからずば抜けたスタープレーヤーは生まれない。そのかわりにチーム力は平均化してくる。

●終わらぬ基礎課程

 こんどの箱根駅伝の主役陸上競技部の誕生は昭和二十九年「不得意な個人競技よりも得意な団体競技で・・・・」と中、長距離、フィールドのほとんどの選手が箱根駅伝に勢力を結集したという。昨年初めて箱根駅伝予選(五位までが出場資格)に出場して七位で失格したが、ことしは四日の予選会に五位(10マイル=平均57分47秒)となって待望の出場資格を得た。二年目の快挙である。しかし鶴留(教育大出)井坂(日体大出)両コーチの専門家的眼からみればまだまだ基礎訓練の課程をおわっていないという。
 選手がグランドを回っているのをみながら両コーチは「陸上競技というものが経験と理論の集大成だから結局走らなければ・・・・」とその経験不足をボヤく。そういえばちょうど実業団の東京-大阪駅伝に出場するため全国から選抜されて同大学に合宿している先輩の自衛官と走法をくらべるとしろうと目にも大分開きがあるのが分る。先輩たちは走法にリズムとバネがあるのに彼らのはどうひいき目にみてもアヒルがかけているようだ。もっとも先輩たちのなかには朝日マラソン四位入賞者というつわものがいるというが・・・・

●応援でカバー?

 第一区間を走ることになっている尾辻選手は「この間(十八日)箱根までの試走をやりましたが、一区間平均の22キロになると長いですね」無理もない話だ。10マイル予選をやっと走れるだけで22キロを走った経験者は一人もいないのだから。だが二区を走る中村(均)選手は「でも応援がたくさんくるからそれでカバーしますよ」とおどけた調子で語ったものの、年一万五千円の予算ではどうにもならず、選手各自が一ヶ月の学生手当四千円を出し合ったり、全校生徒から五十円ずつ寄付を仰いだりしている。他校のバスをつらねて応援にくるというようなマネはとてもできないのが真相。
 まだ基礎技術もよくのみこめず22キロのつらさをほとんど知らない選手にしては案外のん気。こわさを知らずの無鉄砲さでただ出場したことに生きがいを感じているようだ。

●走破できれば・・・・

 朝倉監督も「好調な選手といっても好調さによりけりですよ。なにしろ何着になるなんてことは考えてないですね。全部走破出来れば成功、十二着に入れば破天荒なことです」第九、十回の箱根駅伝で早大が連続優勝したとき、一、十区を走ったこの著名な監督には22キロのこわさが身にしみて感じられるらしい。それでも十一、十八日の試走では主将の青山が五区(山登り)を1時間40分、中山が六区(山降り)1時間20分、一、十区を尾辻、立岡がそれぞれ1時間15分という記録を出した。
 「作戦なんてありませんよ。作戦なんて立てる余裕がないですね。どうにかブレーキが出ず、走破してくれることを念じるだけです」と鶴留、井坂の両コーチは異口同音に語る。

●背後に世間の目

 技術面ではこのようにまだまだ及ばない防衛大選手だが、精神的な力強さというものは他校にくらべて決してヒケをとらない。「文武兼ね備えた幹部自衛官となるためには努力するのみ・・・・」という槇智雄学長のくんとうを受けて敢闘精神で技術の不足を補なうよりほか戦いぬく道がないわけだ。
 もう一つ目にみえない精神的圧迫感が選手の強敵といえないこともない。それは自衛隊そのものにたいする世間の見方が冷たいからだ。この点について青山主将は「初出場なので全然どんなふんい気なのかもわからず、目的は雑念を忘れてただ走りぬくことだけです。まだまだ自衛隊というものが世間に認められていないので防衛大についても走っているときどんなヤジがとぶかもしれませんが、気にしないで走れと他の選手にはいってあります。校名をあげるということももちろん必要でしょうが、それよりも他校の人々と競技をくらべられるということが大きな収穫ではないでしょうか」と部員を代表して抱負を語ってくれた。
 二十四日からは合宿を小田原に移して一般の大学なみに仕上げに入っている。色々な点から注目される防衛大の駅伝初参加である。

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