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お知らせ

「同期生紹介」(5)~(陸)川島正君「私と油絵/二科展」~

2022.09.17

(陸)川島正君(機械工学7班、第4大隊)は昨年第105回二科展に入選され本ホームページで紹介しましたが、今年(第106回二科展)も連続入選されたことを先日お知らせしたところです。第102回二科展絵画部門で特選を受賞するなど過去8回入選の常連ですが、さらに本年第106回二科展では会友に推挙され、その実力が高く評価されたと云えます。これまで定年後の仕事における活躍を紹介してきましたが、今回は芸術分野で活躍されている同期生についての紹介です。杉田君から投稿がありましたので紹介します。

~ 川島 正君のこと ~     ( 陸部会長 杉田明傑)

川島正夫妻は二科展入選の常連として今や知らない人はいないと思いますが、今年は特に「会友」に推挙されたということで晴れてプロの画伯として認められた年であり改めて「同期生紹介」に登場いただいた次第です。

川島君は佐賀県出身、機械7班で校友会は柔道部でした。柔道部では後藤健介君と並ぶ強豪として活躍しました。幹候卒業後、小生と部隊は違いましたが共に第8師団(北熊本)に配属されました。その年の秋、師団武道大会があり、彼は柔道で個人優勝し、小生も剣道で優勝して碇井順三師団長から揃って優勝盾をいただきました。「防大出はやるなあ」と言われたものでした。その後川島君は新隊員区隊長や富士学校のレンジャー過程を修了するなど、眩いばかりの青年幹部時代を過ごし「歩兵の本領」まっしぐらに自衛官人生を歩むものと思っておりました。しかしそれは別府の中隊長勤務くらいまででした。国士舘大学での史学研修に派遣されたころから一転し、学究の道を歩むようになりました。学校や防衛研修所における研究や執筆に邁進し、軍事史や安全保障関係の著作、論文なども多数発刊されました。

余談ながら、東大を卒業され熊大で准教授をされておられる工学博士の娘さんは、川島君のそのような学究の血筋を受けられたのではないかと推察しています。しかし更に大きな転回は退官後の絵画世界への開眼でした。奥様のすすめで始めた油絵が、わずか10年足らずの間に、二科展への入選、特選、会友と階段を登り今や堂々たる画伯です。

川島正君106回二科展入選作品「備えしっかり」-1.jpg   川島理智子さん二科展入選作「大役を果たして」.jpg IMG_1627-1.jpg   

こう書いてきますと、順風満帆の人生に見えますが、困難も多々あったことと思います。それを乗り越えて今日あるのは共に歩いてこられた奥様の存在が真に大きかったものと推察しております。私は絵には門外漢ですが、この歳になってご夫婦揃って真剣に取り組むものがあるとは何と幸せなことでしょうか。今後のご健勝と一層のご活躍を祈念したいと思います。

         「私と油絵/二科展」    川島 正

1 油絵こと始め

  九州の子供たちの進学に合わせ、私は練馬で単身赴任することにした。家内は練馬を発って九州に行くとき、油絵の道具一式を買い込んできた。単身の徒然なるときに絵を描けという。以前休日の戯れに子供たちのクレヨンで絵を描いて遊んだことがあるので、私が絵が好きだと思ったのであろう。近くの公民館で絵の同好会があって月に何回か写生会をやっていた。家内はそれにも申し込んでいた。折角の家内の厚意と画材を無にするわけにもいかず、私は時々公民館に出かけて油絵を描きだした。これが私の油絵の事始めであった。勿論基礎的な素養はない。ただ色を塗りつけて遊んでるようなものである。しかし現役時代である。そんなに絵に打ち込めるわけがない。半年ぐらいで私の画材一式はお蔵入りした。

2 70の手習い

  それから20年近く私は油絵のことはすっかり忘れていた。自衛隊を定年退職し、第2の職場も退職していた。家内は義兄が経営するホテルの支配人をしていたが、2つのガン(乳がん、胃がん)を患って仕事をやめ、苦しい闘病生活を続けていた。手術後の経過はほぼ順調で、一事を除けば日常の生活に支障はなくなり、二人の生活を楽しむことができるようになった。そんなある日、家内がNHK文化センターの講座案内を持ってきた。「基礎からの油絵」というのがあった。私と家内には油絵の素養はほとんどない。しかし絵を描くのは好きである。「基礎から学べるのはいいね」と二人で熊本教室に通うことにした。私が72歳、家内が68歳の時である。まさに70の手習い、年寄りの冷や水であった。

川島夫妻写真-1.jpg

 教室では基礎の基礎から教わった。筆の洗い方から教わったのである。しかしデッサンなどはない。美術学校ならデッサンは必須科目だろうが、何しろ楽しみを求める民間講座である。美術史も知らないまま、印象派と言われてもどういう絵かわからない。グラデーションと言われてもどういう塗り方をするのかわからない。そんな状態でひたすら絵具遊びを続けていた。

3 二科展出品

 それから2年を経過したある日、「二科展に応募してみないか」と先生に言われた。"二科展への挑戦" 大きな魅力だった。だが二科展を見たこともない私には、どんなものを描けばよいのかテーマさえ浮かばなかった。

阿蘇根子岳の東側に「古閑の滝」がある。外輪山から内壁に流れ落ちる男川は落差80メートル、女川は落差100メートルの壮大な滝である。冬季は九重下ろしの北風が内壁に吹き付けて二条の大滝がほとんど凍り付き、長大な氷の結晶を現出する。夜間照明もされて、観光名所となっている。私と家内はこの古閑の滝を見に行った。見飽きぬ滝への思いを断ち切って帰途に就いたとき、突然家内が指をさして叫んだ。「これは絵になるわよ!」家内が指さしたのは滝ではなかった。崩落した崖の風景だった。この一帯は地形的に豪雨に弱く、コンクリートで土留めされているのであるが、そのコンクリートの柵が断裂し、落ち込んでいた。早速これを写真に収め、次回の教室で先生に見せた。「これは珍しい。こんな絵を描く人は今までいない。」これでテーマが決まった。

川島正 阿蘇豪雨の爪痕 現地の写真-1.jpg

初出品作品の画題は「阿蘇豪雨の爪痕」、第99回二科展に出品し、初入選した。

川島正 阿曽豪雨の爪痕 作品-1.jpg

翌年も同じ豪雨被災後をテーマにした。直接被災者の惨状を絵にするわけにはいかないのでシュール化したりデフォルメしたりした。3年目の作品を制作中に熊本地震に襲われた。どうしても災害の悲惨さに引きずられてしまう。だから「復興」にテーマを絞ることにした。思いっきりシュール化して傷付いた老木が新芽をかざして「さあ行くばい」と踏み出した絵にした。漫画チックなこの絵が入選したので半ば驚いた。こうして私の表現対象は岩から樹木へと移っていった。

 4年目は大木の洞(うろ)の描写に専念した。かなり写実的になった。初めシュールレアリズム的な絵から出発したので、対象をしっかり観察して写実的に表現するように努めた。この年は2点が入選し、特選を受賞した。

 川島正(102回二科展特選作品)1.jpg 川島理智子(102回二科展特選作品)1.jpg                

4 理智子グリーンの脅威、いきなり特選

  それまで二科展には興味を示さず、NHK教室で学ぶだけだった家内が、第102回二科展に応募することを決めた。町内を散歩中に見つけた防波堤の梯子が気に入ったらしい。防波堤を濃緑色に塗りつぶし、画面右に白い梯子を下ろす。大胆な構図だった。しかも堤防の傷や汚れをメロディとして捉え、リズムを作った。題して「波防壁のメロデイ」。初出品なのにいきなり特選を受賞した。その年の美術専門誌「美術の窓」11月号が批評付きでこの絵を取り上げた。家内のこの濃緑色の色遣いを私は「理智子グリーン」と呼んでいる。ほかにこの色を駆使する人がいないからだ。

「美術の窓」は翌年も家内の作品と短評を掲載した。美術専門誌が2年続けて家内の作品に注目したのである。この間5年間、私の作品は1度も掲載されていない。

川島理智子 破防壁のメロディー2.jpg 川島理智子 板屋根土塀のメロディー1.jpg 川島理智子 板屋根土塀のメロディー 批評2-1.jpg

5 選抜されて春季展、帝国ホテルに作品展示

  第102回二科展で揃って特選を受賞した私と家内は、翌年(2018年)の春季二科展に出品する機会を与えられた。秋季展(本展)はだれでも出品できるが、春季展は前年の受賞者や、新傾向の画風を探求中の人など選抜された者だけが出品を許されるのである。

  また帝国ホテルのインペリアル・ギャラリーに作品を展示された。これは10号前後の作品で、私は2018年の前期3か月間、家内は後期3か月間、それぞれ売値付きで展示された。外人の買い手がついた友達もいたが,私たちの絵は 返却された。展示されただけで又とない栄誉である。

6 今後のテーマについて

  その後私は主として樹木をテーマに、家内は壁や塀をテーマに制作し、二科展出品を続けてきた。2020年はコロナ禍のため二科展は開かれなかったが,この年を除いて毎年入選を続けている。私は入選8回、特選受賞1回、8年目に会友推挙、家内は入選5回、特選受賞1回である。同じテーマを続けるのがよいのか、その都度テーマを変えて新趣向を凝らすのがよいのか、私の内面では葛藤がある。将来的にはどんなテーマでもこなせる画家になりたいと思うが、現段階ではそれだけの力量はない。ある程度固定したテーマで描けば狭いが深い技量を積み上げることができる。そこから他の各種テーマに敷衍することができるように思う。また自分でも進歩向上の跡を実感することができる。審査にあたる先生方が、絵を見て作者がわかる程になれば審査対策としての戦略にもなる。つまり自分の橋頭保となるテーマを持てばそれが自分の画風として定着するのではないかと思っています。

今回のテーマはウクライナ問題を映しています。アリの行列を人間社会に擬して「しっかり備えよ」と言っています。数年前フィリッピンの深海で戦艦武蔵が発見されました。いつか深海に沈む武蔵を描いて英霊を慰めたいと思っています。そのためには理智子グリーンを拝借しなければ。防衛問題を絵にするのは難しいものですね。

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