「尾辻さん ご苦労さん会」(R7.10.2 東郷記念館)
2025.10.17
令和7年10月2日(木)「尾辻さんご苦労さん会」が東郷記念館で開催されました。参加者は尾辻君ご夫妻を含め23名(陸:石田、種村、中村、石橋、上野 海:山本、玉井、向井、落合、鶴園、垣見、藤田、平賀、龍岡、石神、打矢、高井、矢沢、祢津、小川 空:柳田)でした。
尾辻君ご夫妻の東郷記念館に到着時、発起人の種村君と高井君が出迎え、貴賓室(東郷元帥記念室)にて花束贈呈、1145から参加者総員の写真撮影が行われました。
その後会場の「神楽」に移動し、発起人代表の石田君から開会の挨拶、主賓の尾辻君の挨拶があり、(空)柳田君の乾杯の音頭で「ご苦労さん会」が開始されました。
参加者できなかった方々の伝言の披露や参加者の尾辻君に対するご苦労さん発言が続き、北斗会回想動画の放映等があり、その後雑談になり尾辻君が防大2年生の時出場した箱根駅伝(第37回大会、1961年)の話題で大いに盛り上がり予定の時間を20分オーバーし、1420発起人の(海)山本君の閉会挨拶の後一本締めで「ご苦労さん会」を散会しました。
開催経緯等について
昨年10月8日「尾辻秀久参議院議長辞任表明」のテレビ報道がありました。 翌年7月の議員の任期いっぱい議長職を務めるものと思っていただけにまったく意外なニュースでした。後で聞いたことによりますと、彼は令和4年、出張中にホテルの浴室で転倒、それ以来身体が不自由で、11月11日の特別国会開会にあたって、お出ましになる天皇陛下を参議院の玄関まで出迎え、御休所まで先導することが出来ず陛下に申しわけないからというものでした。
以前参議院議長公邸にお邪魔したことのある者達の中で、「尾辻の慰労会をやろう」という声が出ていたのですが、このニュースを受けてその準備が始まりました。そこで山本安正、石田潔、種村良平君の3名を発起人とし、いつ、どこで、何人ぐらいで、どのような形でやるか等についての検討を始めました。
今夏は異常な酷暑であり、本人からの要望で参議院選挙(尾辻君の三女朋美氏が出馬)(注)が終わり、任期終了後が良いとのことで、結果として暑さも収まるであろう10月初旬の昼とし、彼の誕生日である10月2日としました。
場所は尾辻君が鹿児島県出身で、駆逐艦艦長で戦死された父上の跡を継ぐつもりで防衛大に入校したということもあり、郷土の武人東郷元帥を祭った東郷神社の新装なった同記念館に決定しました。
メールで連絡の取れる30名に声をかけましたが、本人および奥さんの身体不調や介護等で、趣旨は大賛成だが行けないという人が多数あり、結果として尾辻君ご夫妻を含め23名(陸6名、空1名、海14名)で行うこととしました。
全員が高齢者でもあり、心配しておりましたが定時にすべての参加者が集合し、予定より10分間早く会を始め終了時間も20分間延長せざるをえないほど和やかに皆で懇談し「ご苦労さん会」に相応しく参加者の皆様が楽しい一時を過ごしたものと考えております。尾辻君ご夫妻も大変満足されておられたことをお伝えしておきます。
(注)尾辻君三女の朋美氏が今回の参議院議員選挙に出馬しましたが、鹿児島地方区で自民党からの公認が得られず無所属として出馬、これまで尾辻君を支えていた保守系の県議等や立憲民主党の推薦を受け見事当選されました。今後は無所属のままで尾辻君の後継者として活動するとのことです。
「尾辻君の略歴紹介」
鹿児島県出身。1940年10月2日生まれ85歳。東大教養学部中退、防大中退。防大7期、海上9班(機械工学専攻、第3大隊) 第33代参議院議長。参議院議員在任期間(1989年から2025年)36年間。
父・尾辻秀一は駆逐艦「夕霧」の艦長(海軍少佐)でソロモン群島沖の海戦により戦死。1958年、鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を卒業し、防衛大学校に進学、陸上競技部に所属。 防大2年生の時、第37回箱根駅伝に防大チームが出場、第1区のランナーとして「最初のスタートはトップで、ラストでたすきを繋ぐ」のレース運びで活躍。防大3年生の秋に実母が急死。家計を支え、妹・義(のちに鹿児島県議会議員)を大学に進学させるため、防衛大学校を中退。各種アルバイトを経験後、進学塾を開き1964年、23歳で東京大学に合格。東大受験に際して次のようなエピソードがあります。彼は進学塾の生徒に「東大くらい通ってみせらー」と啖呵を切ったら、すかさず彼らが「そうか、なら通ってみせい」と逃げ口を閉ざし、東大受験に合格しなければならなくなったのだそうです。合格したものの東大紛争の影響で授業がほとんど行われず、1966年から日産の車と共に諸外国を放浪。5年後の1971年(30歳)に帰国し、東大を中退(中退時は教養学部)した。
1979年 鹿児島県議会議員選挙に出馬し、初当選。県議を2期7年務める。
1989年 第15回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬し、初当選。 以後総務政務次官、沖縄開発政務次官、財務副大臣(税制担当)を歴任。
2004年 厚生労働大臣初入閣。 その後参院議員会長、参議院副議長、遺族会会長を歴任し、2022年8月3日第209回国会にて第33代参議院議長に選出、議長就任に伴い、自民党会派を離脱し、無所属となる。
2023年に風呂場で転倒し腰部を圧迫骨折したことで体調を崩し、歩行困難になり参議院議長を辞任する意向を関係者に伝え、2024年11月11日の本会議で辞任が許可された。
初当選以来36年間参議院議員として要職を歴任し、最後に参議院議長に就任その議員生活を全うしたことになります。