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お知らせ

(空)田中伸昌君投稿記事~「BMD多国間会議参加と我が国弾道ミサイル防衛態勢整備との関わり」~

2023.10.10

田中伸昌君(航空工学16班、第3大隊)は、ご存知のとおり前北斗会会長で2021年から2023年まで北斗会会長として同期生のまとめ役を果たされました。田中君は高射職種で、米国防衛駐在官、高射群司令、北警団司令、第4補給処長などの要職を歴任し、退官後は日立製作所の顧問を経て、現在は「国家基本問題研究所」に所属しています。

田中君は退官後1998年から2008年まで米国防省ミサイル防衛庁が米国航空宇宙学会(AIAA)と共催するBMDに関する多国間会議に参加し、2001年から2008年の間は分科会共同議長を務める等長らくBMD多国間会議に関わってきました。

最近日本の弾道ミサイル防衛に関し議論が活発になり、日本の弾道ミサイル防衛態勢はイージスアショアから空自PAC3と海自イージス艦による対応措置の方向に変更されておりますが、田中君はこのような情勢下において、長らくBMD 弾道ミサイル防衛)多国間会議に参加してきたこと及び高射職種(ミサイル)の専門家として、BMD多国間会議と我が国の弾道ミサイル防衛態勢整備との関わりについて自身の見解を纏められたものです。皆様が我が国の弾道ミサイル防衛に関して考える際の貴重な資料となると思いますのでここに紹介します。


BMD多国間会議参加と我が国弾道ミサイル防衛態勢整備との関わり

          (注)(Ballistic Missile Defense : 弾道ミサイル防衛)

(空)田中 伸昌

BMD多国間会議(Multinational BMD Conference)は、米国防省ミサイル防衛庁が米国航空宇宙学会(American Institute of Aeronautics and Astronautics : AIAA)と共催するBMDに関する多国間会議で、世界各国のミサイル防衛に関わる国防省、軍、企業等の関係者が参加して毎年開かれている。私は、1998年から2008年までの間、毎年この会議に参加してきたので、この会議と我が国の弾道ミサイル防衛態勢整備との関わりについて述べてみたいと思います。

1.会議の目的及び起源

  この会議はBMDシステムの研究開発・システム構築・部隊運用等に関する情報を関係各国で共有し、BMDシステムの効率的・効果的な開発、シ1999年BMD多国間会議プログラム-2.jpgステム構築、部隊運用等に資することを目的に開催が決定されたものであり、1988年にドイツ、フランクフルトにある米軍基地で、9ケ国から約250名の参加者を得て第1回目の会議が開催された。

その後、会議体制の充実が図られると共に、参加国数の増加、各国発表内容の充実、発表件数の増加等が進み、近年では約20ケ国から約800人~900人の参加者となっている。 そして会議は毎年主要国の持ち回りで実施されている。

2.会議の構成

会議は4日間にわたり、初日は各国政府代表等によるBMDに関する政策レベルのセッションで、一つの会場で行われる。2日目以降は、テーマごと合計7つの分科会に分かれて、各個別の会議室で発表並びに質疑応答が行われる。尚、初日と2日目はオープンセッションで、3日目と4日目はクローズドセッションとなり、秘密情報の内容を含んだ発表が行われる。クローズドセッションへの参加者は、秘情報に関する参加資格が米国防省により審査され、承認された者のみが参加を許可される。当然ながら会場における記録等は一切禁止されている。

3.発表論文の審査選定

発表論文のテーマは、政策関連を除き、技術セッションは、① Global View of Missile Defense、② Command & Control、③ Missile Defense Technologies、④ Modeling & Simulation、Interoperability、⑤ Threats、⑥ Lethality & Consequence Management、⑦ Operational Considerations、以上7つのカテゴリーに分類される。発表論文は会議の1年前に募集を開始し、翌年の1月上旬に締め切る。この結果、通常各国から約500件近い論文が集まり、国際プログラム委員会(米、英、仏、独、伊、欄、日本、イスラエルの代表各2名で構成)で論文を審査し、約90件の発表論文が選定され、合格した論文のみが発表を許される。

4.会議参加者

  会議参加者はBMD事業に関わりのある人に限られる。従って、ジャーナリストや評論家等の参加は認めていない。参加に当たっては、それぞれの国の2008年BMD多国間会議写真-3.jpg政府の承認を得た後、米国防省に対し、軍事技術・運用情報へのアクセス承認を求める申請を行い、許可を得るとともに、秘密情報保全に関する誓約書を主催者に提出することとされている。尚、第3日及び第4日目の会議への参加者は、自国の「秘密」以上のSecurity Clearanceを保持していることが求められている。

5.日本のBMD多国間会議への参加

  日本はこのBMD多国間会議に設立当初から関与し、毎年70名~80名が参加し、そのうち4~5名がそれぞれの分科会で発表してきている。また、発表論文を審査する国際プログラム管理委員会の委員として日本から2名が指名されており、各国から提出された発表論文の審査を、他国の委員とともに実施している。

日本が発表する論文の国内審査について、当時防衛庁は防衛庁との契約に基づくプロジェクトの内容を含むもの、及び防衛上の秘密に該当する内容を含むものについては発表を承認せず、また経産省は武器輸出3原則に抵触する内容の発表は承認しなかった。このことに関して、当時会議に参加した者の一人として、主催者側による徹底した秘密情報管理が行われている環境の下で、各国の秘情報を含む発表は聴講しているのに日本のみが彼らと同等の発表を許可していない状況に、違和感を抱いていたことは否めない。

我が国のBMD多国間会議への参加は、当初、BMDに関わりのある民間企業関係者のみであり、防衛庁及び自衛隊からの参加者は無かった。 その後2003年の第16回目の会議に至り、BMD多国間会議が、初めて、日本、京都(国際会館)で開催されることになり、私も含め関係者による「受け入れ準備委員会」を立ち上げ、会議開催準備に万全を期した。米国防省からは、特に会場及びその周辺の警備・警戒態勢に対する要求が極めて強く、京都府警との事前打ち合わせには、かなりの時間を費やした。

日本初の京都におけるBMD多国間会議においては、会議初日冒頭に、我が国の防衛副大臣が基調講演を行った。そして会議には、防衛省及び自衛隊からもかなりの人数が参加した。そして翌2004年からは、このBMD多国間会議への参加予算が毎年認められ、防衛省、自衛隊から関係者が毎年この会議に参加することとなった。

先に述べたように、私は1998年から2008年の間、毎年この会議に参加してきたが、プログラム管理委員会から指名されて、2001年から2008年の間の会議において、分科会共同議長を務めた。分科会の共同議長とは、テーマごとに分類された7つの分科会のうちの一つの分科会を二人の議長で担当するものであり、一つの分科会では、各国の代表による合計8~9件の発表が行われ、議長はこの会議の進行を取り仕切る。

6.我が国の弾道ミサイル防衛態勢整備

日本は、1988年に始められたBMD多国間会議に参加して以来、引き続いて毎年参加し今日に至るが、この会議で得られた成果を我が国のBMD態勢整備に生かすとともに、我が国の情報も発信して、参加国のBMD態勢整備に貢献してきたが、我が国はこの会議が開催される以前から、米国防省からの働きかけにより、弾道ミサイル攻撃から我が国を防衛するための施策について、米国との間の共同研究で、そしてまた独自に各種研究を実施してきた。それらの概要は次のとおりです。

(1) 弾道ミサイル防衛概念の研究段階

1983年3月、米国レーガン大統領がSDI ( Strategic Defense Initiative:戦略防衛構想)を表明し、日本を含む18か国に参加を呼び掛けた。これに対し日本政府は官民による調査チー ムを米国に派遣するなどして、1987年7月にSDI研究参加を決定し、民間による研究を開始した。(尚、この直後1988年6月にドイツにおいて第1回目のBMD多国間会議が開催 されている。) 次いでこの研究は、西太平洋地域における弾道ミサイル脅威からの防衛研究へと発展し、1989年から1993年にかけて「西太平洋ミサイル防衛構想研究 (Western Pacific Missile Defense Architecture Study: WESTPAC)」として、日本企業が米国防省と直接契約して研究を実施した。この研究の成果として、1994年5月に次の提言 を 行った。

① 三層のシステム(衛星システム、統合戦術情報通信システム、陸上通信システム)から成る防衛通信ネットワークの構築が必要

② 上層防衛用要撃システムとして、THAAD システム、及び下層防衛用要撃システムとしてPAC-3システム、これによる重層防衛システムの構築が必要

 (2)我が国の弾道ミサイル防衛体制の在り方についての研究段階

  1993年12月、TMDに関する日米ワーキンググループを設置することを日米政府間で合意。

1995年~1998年で「我が国の防空システムの在り方に関する総合的調査研究」を実施し、BMシステム、センサーシステム、ウエポンシステム、及びBMC3Iの技術的実現可能 性の検討を実施した。

上記研究の一環として、1995年4月~1997年6月の間、海上上層防衛研究に関する日米共同研究を実施した。これには北朝鮮のノドン開発及び核開発の進展が大きく影響して いる。

1995年に日本政府は、米国とのBMD共同研究の実施を承認し、BMDに関する日米共同研究が開始された。さらに1998年には海上配備型BMDシステムの日米共同研究も承認さ れ、日米共同研究が開始された。

(3)我が国の弾道ミサイル防衛システムの開発・配備段階

2005年、弾道ミサイル防衛用能力向上型迎撃ミサイルに関する日米共同開発を政府が承認し、日米共同開発に着手した。

2007年に航空自衛隊は、ペトリオットシステムPAC-3の配備を開始し、海上自衛隊はイージス艦によるSM-3発射試験を開始した。

我が国が、弾道ミサイル防衛態勢の整備を進めるに至った背景には、米国をはじめとした軍事技術の急速な進展があることは勿論のこと、我が国周辺国による弾道ミサイル脅威の進 展 が顕著になってきたこと、中でも北朝鮮による日本海に向けた弾道ミサイル発射が顕著になってきたことが挙げられる。2009年、北朝鮮が「人工衛星」と称する弾道ミサイル を 発 射し、これが東北地方上空を通過して太平洋に落下したが、この時、日本政府は初めて弾道ミサイルに対する破壊措置命令を発した。これ以後、日本政府は北朝鮮の弾道ミサイ ル発射 に対して、必要と判断される都度、破壊措置命令を発している。

このような対処をしつつ、我が国の弾道ミサイル防衛態勢整備は進められていった。2016年、日本政府は、弾道ミサイル防衛用能力向上型迎撃ミサイル(SM-3 Block2A)の米 国との共同生産、そして配備段階への移行を決定した。そしてこのミサイルSM-3 Block ⅡAを運用するためのシステム、即ちイージスシステムを当初陸上配備とする案(陸上配備型イ ージスシステム)が検討されたが、最終的にはイージス艦に搭載することとし、2020年に安全保障会議及び閣議において、イージスシステム搭載艦2隻を整備することを決めた。 これにより、我が国は、海上配備上層防御用、海上自衛隊SM-3 Block ⅡA ミサイル搭載イージス艦と、陸上配備下層防御用、航空自衛隊ペトリオットPAC-3ミサイル・システムとの重 層防御態勢による弾道ミサイル防衛を実施することとした。

最後に、現在もこのBMD多国間会議は続けられているが、この会議により得られた情報が参加各国のBMD態勢整備に多大の貢献をしてきたことは否めない。我が国においてもPAC-3 及びSM-3 Block ⅡAなどのウエポンシステムのみならず、センサー・システムや、指揮管制システムも含めた総合的な弾道ミサイル防衛態勢の整備に少なからぬ影響を与えてきた。

今日のロシアによるウクライナ侵攻を見るまでもなく、弾道ミサイル脅威が増してきている今日、この会議の意義は益々高まってきていると言える。

私が参加した1998年から2008年までの間のBMD多国間会議の開催時期・開催場所を次表に示しておきます。

         [BMD多国間会議の開催時期・開催場所]

開 催 時 期

開 催 場 所

備 考

第11回

1998年6月1日~4日

米国カリフォルニア州モントレー

第12回

1999年6月1日~4日

英国スコットランド エジンバラ

第13回

2000年6月5日~8日

米国ペンシルバニア州フィラデルフィア

第14回

2001年6月5日~8日

オランダ マーストリヒト

分科会共同議長を実施

第15回

2002年6月3日~6日

米国テキサス州ダラス

同上

第16回

2003年6月9日~12日

日本 京都

同上

第17回

2004年7月19日~22日

ドイツ ベルリン

同上

第18回

2005年9月5日~8日

イタリア ローマ

同上

第19回

2006年9月18日~21日

英国 ロンドン

同上

第20回

2007年9月3日~6日

オランダ マーストリヒト

同上

第21回

2008年9月8日~11日

米国ハワイ州ホノルル

同上

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