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お知らせ

「同期生紹介」(9) (陸)石田 潔君 ~「俳句と私」~

2023.05.27

石田潔君(陸上11班、土木工学、第2大隊、ラグビー部)は皆さんご存知の通り、北斗会の同好会活動の中で他の期には見られない俳句同好会の代表を長年にわたり務められ、「北斗句会」(平成16年9月「一水句会」として発足し、現在は北斗句会と改称)を主宰されています。コロナ禍にあっても通信句会という方法により毎月1回の例会を休まずに18年間継続され令和5年5月の北斗句会は二百二十数回目の定例会と聞いています。本ホームページに定例会の作品を掲載し始めたのは平成30年11月からです。今回はその石田君の活躍を紹介することとします。

         「石田潔君紹介」             安藤正武(機械7班 普通科出身)

私の普通科BOC 9か月のベッド戦友である石田潔君(土木11班 陸自普通科出身)を紹介します。ご存知の通り現役時代より俳句を嗜み、今や20年近く「北斗句会」の主宰者として仲間に句会でのお世話役を務め、『俳句と私』と題して人生を語って頂きました。                                 石田君は、昭和15年9月に滋賀県の琵琶湖北部の伊香郡西浅井町塩津浜(現在長浜市)で出生。伊香高校卒業後、昭和34年大志を抱いて防大に入校、防大生活の情熱をラグビーに注ぎ、勝負根性を養いつつ校友会の黒幕として野人たる風格を磨き、沈黙の中に潔い行動素質を磨いたようです。                     AOCでも借家が壁を隔てて隣家となり、奥様のけい子様共々お世話になりました。AOC卒業後共に幹部候補生学校教官1年、さらにCGS学生としてご一緒しました。CGS卒業後。帯広地連・千歳11普連中隊長を経て、「電通株式会社」に1年広報研修を行い防衛庁内局広報課に勤務、以後北方総監部で防衛課運用班長、防衛研究所研修生を経て陸幕防衛班長に就任し、陸自防衛の中核として、かつ日米同盟の実効性向上に奮闘しました。函館の第28普通科連隊長、東北方面総監部で防衛部長、大阪地連部長、北方総監部幕僚長、第6師団長の要職を歴任し最終補職は、普通科・野戦特科・機甲科3職種のメッカである富士学校長として、陸自の次代を担う指揮官養成に全精魂を注ぎ平成9年3月、自衛官生活を完結し退官しました。                                              退官後、防衛や政治関係者から平成10年参議院選挙における自衛官出身者の候補者として推戴され、後援組織体制を整え7月以降約1年間、同期生を主体に全国的な活動を実施しました。当時の選挙日前に所属政党が当選順位を決定する制度下で上位順位を得られず、勝利の女神が微笑みませんでした。今も残念でたまりません。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      当時、東京2回及び全国主要都市で石田後援会主催の講演会を開催頂きました。各地で石田候補の「俳句」が登場し、武人たる国家安全保障への熱弁と共に、応援の政治家や聴衆に絶賛を浴びたのが『俳句』開陳でした。私も、初めて拝聴しました。私は滋賀地連部長に在任中に石田君のご尊父正夫夫妻宅を訪問、歓待戴きました。石田君は、現役時代から父親に俳句を教わっていたそうです。文武両道は本物です。                                              石田君は、各地で厳しい上司にも仕え、一般社会でも和やかに意思を伝え、信頼感を拡大し、充実した人生を築かれたものと思います。素晴らしいことですね。(偕行誌俳句選者、東京新聞千葉版房総俳壇の選者でもある)

石田潔君、けい子夫人.jpg

 


       

          「俳句と私」        石田きよし(俳号)

父のこと

父正夫は製菓業を長兄に任せて以来俳句に専念し、宗匠として長浜市の琵琶湖畔の田舎町で活躍した。俳号は翠湖で、県大会で3度も知事賞に輝いた。母が骨折し介護が必要になり、「今日から俳句を止めて千代(母)の介護を趣味にする」と宣言したのは95才だった。                              きよしは自衛官時代から親孝行のつもりで、勝手に翠湖教室と名付けて、時々十句ほど送っていた。また、年賀状には下手な俳句を入れていた。いつも電話をくれた父が、次男坊主の俳句を喜んでいたのは間違いなかった。

石田正夫さんと筆者.jpg

 鴫俳句会のこと                                                                  平成10年の参院議員選挙に敗北し、同期生の諸氏にご迷惑をおかけして、少々落ち込んでいた平成11年7月に、通勤途次にある柏駅西口のNHKカルチャーセンターの俳句教室の窓口にいた。月2回の土曜講座なら出席できると決めた。その先生が鴫俳句会の主宰伊藤白潮師だった。                       土曜句会の生徒のほとんどが鴫俳句会のメンバーだったこともあり、小生も入会した。そして13年には鴫俳句会同人に推挙された。白潮師の指針は、「いのちをほめ、かなしびを表白し、自然の中に生きる人間の総量としての俳句をめざせ」であった。「ものを見ろ、ものの本質をつかめ」、「駄句でいいのだ、ともかく作れ」なども。そして平成20年に白潮師が急逝されたのは晴天の霹靂であった。岐路に立って多くの句友とともに「鴫」道を引き続き歩くと決めた。井上信子代表、高橋道子選者の新体制下で、22年に鴫新人賞、24年に鴫賞を受賞し、25年には俳人協会会員に推挙された。また26年以来、鴫俳句会同人会会長という句会のまとめ役を仰せつかっている。鴫俳句会の代表は、その後高橋道子師を、そして今日では加藤峰子師をいただいて、コロナ渦中で苦戦しながらも順調に運営されている。                       今日、鴫俳句会のきよしの出席している句会は、本部句会及び柏・市川・船橋各支部句会に各月1回で、それぞれに5句を出句し、支部句会で時には進行役を務めている。

鴨俳句会吟行大会.jpg

 柏市俳句連盟のこと                                                                平成24年、鴫俳句会柏支部は柏市俳句連盟に加入することになった。その際柏支部20名余を代表してきよしが連盟の役員・幹事に就任して、柏市俳句連盟の諸活動にも携わることになった。そして令和2年には柏市俳句連盟の会長に推挙された。                                        連盟は吟行大会、柏市民大会(市長賞・議長賞等)、柏市文化祭大会(柏市文化連盟の活動)の三大会が恒例事業。吟行会は50余名、柏市大会・文化祭大会は各100数十名の参加者がある。                                                                 隣接の野田市俳句盟、流山市俳句協会との交流もあり、両市の会長を選者として招待しているので、きよしも野田、流山の大会には招待されている。きよしの天・地・人賞には、用意した短冊を渡すのが慣例になっている。

 ニッセイ松戸アカデミーの俳句教室のこと                                                      松戸ニッセイエデンの園老人ホームのアカデミーで、老人ホームの入居者や付近の住民を対象にするカルチャー教室がある。その月1回の「俳句教室」をきよしが担当している。コロナで少し減って老人ホームから6人、地域から3人の受講者がいる。                                       事前投句(3句)で、句稿も事前に配布され選句して集まるシステム。句会は2時間余と短くなるので、老人たちにも無理がなく好評(北斗句会もこの方式)。                            「今では私の生きがいなのよ」との発言もあり、座談の文芸俳句の楽しくも充実したひと時をと心がけ、笑顔を忘れずに。

 雑誌・新聞の選者のこと                                                               偕行社の機関誌「偕行」の「俳句教室」の選者を、令和5年1・2月号から担当している。約二十名の方から各5句の投句があり、「特選」、「選」の20句ほどに句評を入れ、「佳句」約20句ほどを列記するとともに、指導のコメントも入れている。                                      また、東京新聞の千葉版のページに「房総俳壇」があり、5年4月から選者を担当している。ひとり一句のはがきが30枚程度あり、5句を選んで句評を入れている。                             いずれも俳句という文芸とその愛好者に対して、いくらかでも寄与・力添えできればと願いつつ、選句、句評に力が入る。

 北斗句会のこと                                                                  毎年7月に開催される防大7期生の会合・北斗会の宴席で俳句の話をしていたら、我々も俳句をやろうじゃないかとの意見が出て、土井、山縣、深見、高山、石田の5人で平成15年3月から「一水句会」(毎月第一水曜日)がスタートした。それから今日までほとんど休みなく句会が続いている。                  北斗会の集会では、各会員の自薦句(当初5句、現在3句)を皆さんに配布してきた。一水句会の10周年に当たる平成25年には、その自選句をまとめた句集「北斗」を、藤田、竹内両君の尽力で刊行できた。その時以来、「一水句会」は「北斗句会」に改名された。                               北斗句会は句会場がやや不安定だったが、今では偕行社が自社の活動の一環として取り上げていただいて、句会中のドリンクもサービスがある万全の態勢で開催できている。                                                                          山縣、川瀬、森田各氏のご逝去があり、また体調不調等の辞退者も6名ほどあって会員の縮小はやむを得ないけれども、今年3月には川崎君の新加入があり、現在は11名(内一名は女性で竹内夫人の友人)に。                                                          難しく考えないで「日々の生活やウォークや新聞や読書や旅や交流等の中での感動や発見を俳句に」して、「継続は力なり」を信条に人生を楽しみたい。

北斗句会会員と筆者.jpg

 句集「目を覚ませ」のこと                                                               第一句集「目を覚ませ」は平成27年12月に発刊した。句集「目を覚ませ」.jpg
その際の句集のための選句と句集巻末の「跋」は高橋道子選者に、そして巻頭の「序」は井上信子代表にお願いした。                                                                                
その346句の中から、「序」と「跋」にお二人に選んでいただいた句を紹介して、「俳句」を共に楽しんでいただきたい。                                                   「序」ではきよしの自衛官出身が明らかなる句を取り上げて。

  「初蟬は防衛庁の大欅」

以下「跋」では最初に、鴫誌の平成17年3月号の巻頭句を。

  「新鮮なレタスのやうに着ぶくるる」

次に平成15年の阿蘇・雲仙吟行会の白潮師の特選句。

  「目を覚ませ火の国はいま麦の秋」(句集名になった句)

きよし句にあるウイットとユーモアをよしとして。

  「さよならのらに開かるる黒日傘」    「読みかけのヒロイン待たす三が日」

出身地長浜市は風光明媚で史跡も多く、俳句を嗜む郷里だと。

  「奥琵琶の駅蟬時雨せみしぐれ」    「ふるさとをいふ水鳥の湖をいふ」

長寿であった父恋、母恋の句には敬愛の情が深いと。石田君の俳画1.jpg

  「この父の息子なりけりインパネス」  「電話はじめ母の口癖ほうやがな」

元自衛官の矜持が、抑えながらも随所に滲み出ると。

  「着飾りし菊の軍師に策を問ふ」    「蝉の穴復路といふはなかりけり」

妻は俳画の講師で、句集にもその挿絵が入っていて、微笑ましいとの評も。

  「討ち入り日そは女房の誕生日」    「すき焼きの妻の命令口調かな」

最後に落ち着いた叙景句として、信子代表特選2句と男性的な句を。

  「荒瀬にも懐ありて鮎光る」

  「木々渡るなじみの風の秋湿り」

  「冬天をごつごつ掴むプラタナス」石田君の俳画2.jpg

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