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お知らせ

「同期生紹介」(7) (空)御厨美至君~「居合道40年、座禅30年」~

2023.01.17

(空)御厨美至君(機械工学専攻、第5大隊、美術部・ギター同好会)は、1981年に当時勤務地であった三沢の地で「居合道」に出会い、以後精進して居合道の神髄を求めて稽古を続け、座禅は1990年ころ芦屋基地での勤務(3回目)中縁あって宗像市東光山興院貫主毛井晶紀老師に師事し剣禅一如の境地を目指して修練しておられるようです。伊藤君から御厨君の活躍について投稿がありましたので紹介します。

      「御厨君のこと」    (空)伊藤文夫

(空)御厨美至君は福岡県出身、機械工学専攻、学生時代は美術部とギター同好会に席を置き、油絵を描き、古典ギターを爪弾き、デカルト、カント、ショウペン・ハウエルに魅せられ、また座禅に取り組むなど興味のあるものには何でも取り組むという多芸、多趣味の異能の学生でした。 現役時代は航空施設分野で、堪能な英語を駆使して空幕勤務時には日米共同作戦計画作成の後方担当者として、また、北空司令部(三沢基地)勤務時には基地の日米共同使用に係る諸問題の解決に辣腕を振るって活躍しました。
退官後は福岡県飯塚市に在住して居合道の精進を続け、「無双直伝英信流居合兵法 範士八段」の允可を受け、「居合道場悠毅館副館長兼師範代」及び「居合道九州地区連盟副会長」等を歴任しました。
現在は全ての役職を辞退して、居合道の極致を求めて一人稽古を弛みなく続け、悠々自適の日々を送っています。

紹介用.JPG 立位切下ろし2.jpg

「御厨君のプロフィール」

1981年 三沢基地にて居合道を始める
1987年 那覇基地にて居合道5段合格
1990年 芦屋基地にて宗像市東光山建興院貫主毛井晶紀老師に師事
2012年 無双直伝英信流居合兵法 範士八段允可
~ 全日本居合道連盟特例範士常議員、全日本居合道九州地区連盟副会長及び居合道場悠毅館副館長兼師範代等を歴任
2019年 悠毅館館長(師匠)の死去を契機に後進に道を譲り、公職をすべて辞退し引退 
現   在 
・居合兵法範士八段、 剣道初段、銃剣道5段
・座右の銘は「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」(孫子)

「居合道四方山話」  (空)御厨美至

1 初めに

居合の修行は、1981年三沢基地に勤務を命じられた時に縁あって始めたものであります。その後、勤務多忙で一時中断したこともありましたが、1996年に航空自衛隊を退官した後も修練が続き40年の歳月となってしまいました。
この度、盟友伊藤文夫氏から「7期生ホームページの掲載資料として居合について何か書け」との要望があり、拙文を起草する羽目になりました。
御用とお急ぎでない方はどうぞご笑覧ください。

2 居合とは

剣を執っての勝負は双方刀を抜きあって「立ち合う」のが一般的ですが、双方刀を抜かずに座位あるいは立位から始まるのを「居合」と称しています。
元来、敵の不意の襲撃に際し、いかなる状態にあっても対処できる技と心構えを修練する剣術の一派として工夫されたもので流派はいろいろあり、現在も多くの方が剣道と居合を双習されています。また精紳修養として居合だけをおやりになる方もいます。

3 居合の極意

居合の精髄は敵の害意を察するや先又は後の先の鞘放れの一刀を以って電光石火の勝を制することにありますが、それ以上に刀を抜く以前に極意があることが強調されます。
即ち、修練の成果で自ずとにじみ出るオーラ、風格により敵の害意さえ起こさせずに勝を納めるということで、古来「居合の極意とするところは常に鞘の中に勝を含み、刀を抜かずして天地万物と和する所にあり」と教えられています。これは孫子の「百戦して百勝するは、善の善なるものにあらず、戦わずして人の兵を屈するが、善の善なるものなり」と軌を一にするものです。

抜打ち1-1.jpg 抜打ち3-1.jpg 抜打ち5-2.jpg

興味本位から「居合と剣術が戦ったらどちらが勝つか」と問われることがありますが、双方刀を抜かない状態で不意に勝負が発生した場合は居合がわずかに有利かもしれません。居合は抜きつけが生命であり「柄に手をかける」、「刀を抜く」、「切りつける」の三拍子を「留まることのない一拍子」で行う訓練をします。柄に手をかけることが即抜刀、抜刀が即切り付けの意識を持って訓練を続けると一拍子がどういうことかがはっきりと分ってきます。例えて言えば戸を開けると同時に月の光が入ってくる。「戸を開ける、月の光が入る」の二拍子ではなく、戸と月の光が一拍子と感覚的にわかるのです。「初動戦力の最大発揮」は懐かしい熟語ですが、居合の極意に通ずるところがあるかもしれません。
「居合は抜き付けしかないから初動で間合いを取って抜かせてしまえば剣術の勝」といわれる方もいるようですが、当たり前のことですが居合でも二の太刀、三の太刀も準備し鍛錬しています。双方抜きあってしまえば五分と五分で強いほうが勝つことになるでしょう。
居合と剣術どちらが強いかは議論の対象にはなりません。勝ったほうが強いのです。

4 禅と剣

禅は日本文化の中で独特の影響を及ぼしており、華道、茶道、作庭、美術、能、その他の日本での社会活動は禅を抜きにしては語れません。
剣と禅の関係も密接不離で剣術も居合も禅の影響を強く受けております。
そこのところを垣間見てみましょう。

・不動智神妙禄と兵法家伝書

不動智神妙禄は沢庵漬けで有名な臨済宗の禅僧沢庵宗彭の著作で、剣の極意を柳生新 陰流の柳生宗矩に教えた伝書である。剣には全く無縁の禅僧が時の将軍指南役の宗矩に剣の極意を書いて与えるとは驚きです。悟りを開いた高僧にとっては剣も禅も同じものなのでしょう。
逆に宗矩が著した兵法家伝書は新陰流の極意を記したものであるが、全編に亘り禅の 教えの影響を受けています。
この中で宗矩は殺人刀(「せつにんとう」と読みます)、活人剣(「かつにんけん」と読みます)について記していますが、「乱れたる世を治めむ為に、殺人刀を用いて、すでに治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや」と説明していますが、まさに禅問答の様相を呈しております。
この語はもともと禅の書物にある語で、本来の意は「禅僧が修行僧に対して駆使する 「殺すも活かすも自由自在」という手腕のたとえ、相手のあり方に対して全面否定する やりかたと全面肯定するやり方をいう。」とされています。

・無外流

小説家池波正太郎の作品に「剣客商売」がありますが、主人公は秋山小兵衛という架空の剣客で居合は無外流の達人と設定されております。連続テレビドラマにもなり評判も良かったのでご覧になった方もおいででしょう。
無外流の創始者はこれも禅僧の都治月丹で、その兵法書は難解を極め私ごときにはと ても歯が立たない代物です。
都治月丹は姫路藩で活躍し、その居合は藩外不出の秘技だったといわれます。その秘太刀三本のうち、一番向上のものを「万法帰一刀」といいます。数歩歩んで、腰の高さで横に抜き払うだけのものである。その刃音に逃れ去る敵をダラリと太刀を右手に提げて魯の如く愚の如く、追いもせずに見送るのみである。これはまさに禅問答の公案そのものでしょう。
未熟な者がこんな技を使うなら、生兵法は大怪我の基でたちまち相手に切り伏せられ てしまうことは必定でしょう。

・心形刀流(しんぎょうとうりゅう)

野球の故野村監督の語録に「勝に不思議の勝あり、負に不思議の負なし」というのがありマスコミでもだいぶ騒がれたことがありますが、これは肥前平戸の藩主で文武両道の達人として名高い松浦静山(まつらせいざん、号は常静子)の著書「常静子剣談」から出たものです。
「剣術において最も大切なのは、切り合いになってからの事と思うであろうが、それは枝葉のことに過ぎない。まだ刀を抜かず、手出しをしない前こそが最も大切な段階である」と述べた後でこの語を述べております。この語も禅の公案として粘提すればなかなか味深いものがあるでしょう。
この流派ではありのままの本心を認めたうえで、それを錬磨するにはまず形を作ると ころから始めなければならない「居合の本質」として流派名を心形刀流としたものである。この流派では居合とは言わず抜合と称しているが言いえて妙である。

5 終わりに

「居合40年、座禅30年の古狸」になってしまいましたが、剣禅一如の境地には到底及ばず、「日暮れて道なお遠し」で年齢が平均寿命を過ぎた今となっては、残された時間では全く足りない状況です。
「近代のデジタル科学社会の中で、今更居合とか座禅をやって、何かの役に立ちますか」とよく聞かれる質問ですが、「何にもならない、無駄、それも壮大な無駄を飽きもせずやっています。しかし人生は無駄が多いほど楽しく、幸せなものと思いませんか。ゴルフをやる人、パチンコに現を抜かす人、その他いろんな遊びあるいは無駄に精を出す人、みんな嬉しそうに幸せを感じていらっしゃる。それでよいのでしょう?」とうそぶいて拙文を閉じます。

宗像市東光山建興院3.jpg

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