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お知らせ

「同期生紹介」~(陸)山田弘文君の定年後の活躍について(金沢工業高等専門学校校長として)~

2022.05.14

山田弘文君(機械8班、5大隊)は定年退官後、金沢工業大学併設の金沢工業高等専門学校教授となり2006年に同校校長に就任、高専教育の改善に努力されました。杉田君から同君の定年退官後の活躍について投稿がありましたので紹介します。「金沢工業高等専門学校」は現在「国際高等専門学校」に校名が変更になっています。

~山田弘文君のこと (東部支部陸部会長 杉田明傑)~

同期生山田弘文君は自衛隊退職後自ら開拓した職場、金沢工業大学併設金沢工業高等専門学校において約25年間にわたり教授、校長を務め、このたび5月末をもって勇退されることと聞きました。金沢で頑張っているとは聞いていましたが、このたび彼が教育界においても卓越した貢献をしたことを改めて知り敬服するとともに同期生諸兄にも是非知っていただきたく紹介する次第です。

金沢工業高等専門学校正面玄関.jpgのサムネイル画像 ある日の校長-2.jpg オタゴ校長と-1.jpg

山田弘文君は愛知県の出身、防衛大では機械8班、校友会は茶道部に属していました。卒業後は第一線の野戦特科部隊にも勤務しましたが機会を得て大阪大学で博士号を取得し、じ後研究開発や教育分野に勤務しました。小生とは同じ専攻、同じ職種でしたので机を並べたこともありましたが小生は専ら草をつけて走り回っていたためしばらく会うことはありませんでした。再会は彼が34歳で剣道を始められてしばらく経ってからのことです。旧市谷道場での稽古をはじめ試合や青少年指導などを通じて奥様共々修行を続けられ、本人は5段を、奥様は4段を取得、後年金沢工専校で教鞭を執る傍ら、同校剣道部の発展にも寄与されました。彼の功績の細部は手記に譲りますが、高い学識だけでなく自衛隊で培った人格や識見の影響が教職員や学生にも深く浸透したことは、ヒラ教員から校長になった初めての例であったことや、学生の卒研第一希望が全員山田研究室に集まり周りを慌てさせたことなどが物語っています。またこの間には、19名の自衛隊0Bを同校に就職援護するなど防衛省自衛隊の後輩にも多大の貢献をされました。退職を前にして、槙智雄校長の「防大教育はすぐにでも役立つが将来においてこそ真価が発揮される」との卒業訓話を励ましとしまた理想の教育目標としたと回顧していますが、まさに名言であり、彼こそその具現者であったと思います。(山田君の手記を添付します)

 「金沢工大教職員を辞するにあたって」(山田 弘文)(R4.4.30)

 陸部会長の御指示により、陸上機械8班山田弘文(野戦特科職種)の定年退官後の勤務(第二の人生)状況を、箇条書きに要約し、併せて末尾に感想を付して報告します。
1. 勤務先の概要
 学校法人 金沢工業大学(金沢工業高等専門学校を併設)(私学)
     高専:5年制3学科 総学生定員数:675名 教員:約60名
所在地:石川県金沢市久安2−270
本人の住居:退職金で学校近傍に自宅を購入し、夫婦で移住。
2. 就職先の開拓方法、教員資格取得ならびに志望動機
 就職先の選定:自己開拓(履歴書を希望先大学学長に送付し依頼)
 推薦書や保証人は、現役部外研修時代来の人脈に頼る。
 必要な資格:教員免許:停年2年前に文科省実施の教員資格試験を受験し、高校教員資格を取得した。
      博士号:陸自の大阪大学部外研修生派遣時に取得
 大学教員資格基準:博士号保有or卓越能力者or文部大臣が認めた者
 志望動機: 退職時援護担当から紹介された業種が、1週間の内に数転して定らず、現実味が感じられなかったため、急遽教   育職希望に切り替え、約3ヶ月かけ自己開拓した。
 採用依頼先:9大学(含防大)、高専には不申請
 採用試験:業績(文書審査:作文・研究業績)、面接試験2回(東京)
      陸自勧奨退職:3月31日、教員業務開始:4月1日
3. 就職先における職務状況
 1997年〜 金沢工業高等専門学校機械工学科教授兼 学生主事(2年)、その後 教育研究主事(4年)
 2006年〜 金沢工業高等専門学校校長(日本の54高専の歴史の中で、ヒラ教員から校長に就任した最初の事例となり、事後の文科省 が実施する高専改革の口火となる。)兼 学園理事・人事委員
学校集会1.jpg  記念祭で奮闘1.jpg   教員合同写真.jpg              

2014年〜 金沢工業大学参与 兼 大学付置研究所研究顧問

2022.年5月31日退職予定
4. 職務実績(業績)
(1) 金沢工業高等専門学校機械科教授として
 ア、 教科教育の担当
  機械加工学、材料学、自動制御工学科、コンピュータ工学工学実験、工学設計学、計測工学科、機械製図、加工実習、卒業研究 等の授業を週20時間担当
 イ、 「授業時間外の学生用ものづくり工場」の新規設計と完成
 ウ、 機械工学科教育大系の新規構築(外国並の工学設計教育)
  「5年一貫のエンジニアリングデザイン教育体系の構築」
  「ものづくりは人づくり」(3年後、この流れは全国高専に波及した。)

   教壇からの写真1.jpg

(2) 学生主事として
 ア、学生指導の徹底(親身の指導と対話)
   信賞必罰の徹底による校規の確立(補導事案数の極減化)
 イ、 挨拶運動の導入
(3) 教育研究主事として
 ア、 教員の意識改革
  研究活動の活性化奨励、学会参加の奨励
 イ、 創造教育技術研究所(全国高専初)の設立と研究経費の確保
  研究費10万円/人/年
  研究成果論文集の定期発行と国会図書館への献本
(4) 高専教員共通業務(山田個人)として
 ア、 剣道部指導(6年) 全国大会入賞4回

    全国高専剣道大会入賞1.jpg

 イ、 サッカー部指導(3年) 30連敗阻止

 ウ、 ブラスバンド部顧問(1年) 部の復活・部員数の確保
(5) 高専校長兼学園理事として
 ア、 新規入学生の偏差値の向上
  2年間をかけ平均値を10点向上して学生定員数を確保(学習塾連合会会長から驚異の眼で見られた。)
 イ、 教員の博士号取得奨励と研修先の斡旋
  校長8年間で、6名を養成し、現在継続中は2名
 ウ、 高専ロボコン大会への積極参加・入賞
  全国大会(国技館)出場4回入賞3回(従前は1回/10年)
 エ、 創造設計教育の発展・展開:5回受賞
  日刊工業新聞社賞、全国高専協会理事長長賞
  工学教育賞、 渋谷財団賞、朝日新聞社賞(みらい教育賞)

  日刊工業新聞社賞.jpg   工学教育賞1.jpg   国内学会賞.png  外国学会賞1.jpg

 オ、 国際教育協定機関C D I O(国際創造工学教育協会)への加盟

   審査に合格し日本の大学・高専で初めて加盟が容認された。
 カ、 文部科学省の高専教育監査に100点満点で合格(全国で初)
   監査委員長評:「現地調査した学生の大半が、生まれ変わってもまた金沢高専に入りたいと回答したのは、本校のみ。」
 キ、 体育授業(剣道)の実技指導担当(教員不足の期間)
   指導助手として家内の協力も得て、2年間指導
 ク、 早朝登校時の学生指導(8年間在校時毎日)
   登校時間(0800〜0840)に校門に立ち、学生を出迎え、声かけし各学生の状況把握に努めた。
 ケ、文科省特別教育補助金の申請・獲得
   3件(工場長育成教育、英語教育、グローバル人材育成) 合計約5000万円
 ケ、 海外教育視察3回
   米國(含:陸軍士官学校)、シンガポール、ニュージランド
 コ、 防衛庁退職者を教員や職員として紹介。採用19名採用
   金沢工大さきもり会を結成、理事長を顧問に招聘
   陸自8(教3、職5)海自3(教3)空自3(教3)技本5(教5)

   さきもり会教員と理事長.jpg

  (注)全学園内の庁出身者の最大在籍者数 34名(2017年頃)

 サ、周辺中学校校長との定期的教育意見交換
   学生を派遣(受験)する中学校の校長を年1回訪問・懇談し、教育理念、教育施策、就職状況、中学側要望について懇談し、意思疎通を図った。(中学総数73校)
 シ、理事として学園人事委員分担
   防衛庁勤務経験者の第2人生の求職・雇用に貢献できた。
   本庁、地連及び駐屯地援護部門と連携し採用に寄与

5. 勤務所見(退職に当たって)
 現在、我が国の高等教育は転機に差し掛かっていると言われています。
欧米の近代的な教育技法や、教育内容レベルに追い付くための組織・制度改革と人材開発のためであります。その現場に在籍すると共に、理事として学校法人経営の一部に従事してみて初めて、我が国の教育実情を知ることが出来ました。真に「観ると聴くとは大違い」の現状に、改めて教育行政の重要さを認識すると共に、子供を有する保護者の方々には、改めて子弟教育の実状に目を光らせていて欲しいと訴えるものであります。
我々戦中・後派の人間が高等教育を初めて経験した時代(小生が防衛大学校在籍当時)は、戦後間もないころであり、教育に従事する方々も新生日本の前途を構築すると言う気合いに満ちていたものと考えられます。また、尊敬に値する先生が多く在職していたようにも思われます。
一方、多くの面で日本全体が小さな満足を享受するようになった現在では、教育界には以前のような緊張感が感じられないし、更に悲しいかな、教育に関する万事が平穏傾向に陥り、最初に申した状態に入りつつあります。かの東大ですら、毎年低下する世界ランキングを、他人事のように眺めている為体で、心ある有為者の歯軋りが聞こえてきます。
 自衛官という門外漢が準備も無く退職翌日教育に参入して、曲がりなりにも役割を完遂出来た根源を無理にこじ付けて表現すると、当該社会が想像以上に閉鎖的(自衛隊も似ているといわれるが、それ以上に)で、自生作用に欠けるところが多いので、小生が着任以来、自衛隊丸出しで示してきた新奇的な言行や、直ぐやる・休みなくやるという態度が、周囲や学園経営者に好意をもって受け入れられた結果であると考えています。
 上記の証拠は、着任時の挨拶の一言「自衛隊から来た山田です。よろしくお願いします」という自己紹介の言葉に対する、全学生の「オー!」と言うどよめきとも見られる発声からも推察出来ると思います。以後、緩んだ綱紀を原則に戻すこと、信賞必罰が徹底されて善良な学生が歓喜することなど、校内に常識が通用するようになると、短時日のうちに学校に笑顔が蔓延したのは、当然のことであります。
着任当時から直感したのは、自衛隊幹部教育を受けた者は全員、日本の教育機関の教員としてやって行けると確信した事です。部隊の服務指導においてはしきりに「親身の指導」と出てきますが、学校教員と学生との付き合いの全ての面(教科教育、部活、服務、就活等)で、この一言が適合すると確信しています。幾人かの防衛庁勤務経験者を教員として紹介しましたが、元自衛官で周囲の人から人並みの評判しか得られなかったものは1/10人で、技本出身の4/5人に比べれば抜群の優秀さです。この事実は別な大学や高専に就職した元自衛官が、立派に活躍している実情からも推定できます。しかしながら多くプロパー教員は、教科の教育が出来れば教員であるとしか認識していなく、総合的な指導力に富む者こそ教員に適すると言うこの現実に気が付いていません。むしろ教えられていないので知らないと言ったほうが妥当かもしれません。
着任の6年目に、機械工学科5年生全員の卒業研究第一希望先研究室が山田研究室となるに至り、学科長が真顔で「機械科を山田が占領した」と立腹していましたが、むしろ小生に言わせれば、「何故あなたがたはこんな簡単なことが実現出来ないのか」と、理解困難なことでありました。恐らくその理由は、高等教育機関の教員のほとんどは、人生の大半を教育という檻の中で過ごしてきた無菌生物(お互いを先生と言う呼称でしかよばない)に等しく、しかも教員への採用は無試験のうえ、縁故重視(近年は、学会誌に教員公募の広告が掲載されているが、真意は所謂当て馬の募集)である事に起因していると思います。
先に成果として挙げた業績は、現在でも当該高専始まって以来の件数となっていますが、それはむしろ周囲が何もしないので目立つものといえます。小生が現役時代に研修した大阪大学では、全教員が必死になって実績をあげることに努力していました。実際、機械科教員時代に、共同研究を持ち掛けたり、新規テーマを紹介して活動を後押しした教員が、驚く様な成果を上げている事実をみると、当時の指導者の教員指導に関する配慮が欠けていたとしか言いようがありません。一般に教育組織のトップは、評判を気にするあまり保身に打ち込む傾向が強く、しばしば本末転倒の現象が見受けられます。新聞ニュースとして紙面を飾るのはこのためです。
中国周殷時代の「考工記」という古文書には、王(指導者)、士太夫(管理実行者、教師)、百工(技術者)は聖人であるべし」と繰り返し述べられていますが、仮に全教員がこの記述の様であるべしと育成されていたとしたら、小生の実績は笑止なものとなっているはずです。
 校長就任あいさつに参上し面会した文科省の事務次官が、小生の校長就任の祝い話に、「これでようやく高専改革ができる。金沢工大学園は良いことをしてくれた。」と話した事は、脳裏に焼きついています。官僚の無責任さを窺い知る寸言です。われわれ国民は、もっと真剣に国家の教育について考える必要があるあると言えます。
就職して以来、現役時代の部隊勤務、幹部学校勤務(6年)や研究開発業務従事(5ポスト10年)経験は大いに役立ちました。しかし、それ以上に励ましになり、教育目標の理想として役立ったのは、防衛大学校の槙智雄先生が卒業に際して訓示された「防大における教育は直ぐにでも役立つが、将来においてこそ真価が発揮される」という意味のお言葉であります。大学退職を目前に控え、槙先生と言う真の教育者に賜学出来た幸せと、卒業に際して贈って頂いた名言の効果を、これまでにも増して感じるところであります。
なお、金沢工業高等専門学校は、2022年3月31日をもって、全学生が卒業し、国際高等専門学校に組織変更になり、白山山麓に全寮制で発足して、4年が経過しました。

国際高等専門学校全景.jpg

文科省の先進的施策への参入と挑戦です。過去の栄光を基礎にしての大改革は、英語を日常語とし、英語で全ての授業を行なっています。国際化対応人材の育成を目指していますが、行く末がどの様になるかは、文科省の制度担当者も予想できないといわれています。玉成を期待するものです。                 (以上)

(本感想報告を書くにあたり、お示ししたい殆どの資料の版権や映像権が大学法人に属している事から、割愛させて頂きました。ご賢察されたくお願い

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