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お知らせ

国分学校長が着任した平成24年度入校式の日

2021.06.21

古賀義亮

 「防大学校長が見た9年」の記事は感激的でした。わたくしは着任の入校式で初めてお会いして、素晴らしい学校長が着任されたと思いましたが、この記事を読んで素晴らしい学校長であったと感激した次第です。以下は国分良成学校長が着任された時の入校式の様子を書き留めておいた9年前の感想文です。

平成24年度入校式の日 2012.4.5

 春荒らしが日本列島に被害をもたらして通り過ぎた4月5日である。晴天ではあるが、風が強い。指定の時間一つ前の到着電車で馬堀海岸駅に降り立つ。

 時間を指定されたのは相磯秀夫先生である。相磯先生は、日本でのコンピュータの歴史に多くの足跡をとどめ、慶應義塾大学・湘南キャンパスの1990年設立にかかわってから、初代の情報環境学部の学部長を歴任された。さらに東京工科大学に新たな学部を創設すると共に1999年から学長を務めた方である。

 一つ前の電車の乗客がすべて降り立つ頃に、相磯先生が「やぁ、古賀さん」と声が届いた。「予定の時間の電車の一本前だったけど、よかった」といいながら、満面に微笑をほころばせながら、しっかりとした足取りで近づいてこられた。

 一通りの挨拶を済ませたところで、「国分良成先生が、防衛大の学校長とは驚きました。極めて明晰かつ優れた人格者であり、親しく交流していたことなどから、慶応義塾大学の塾長候補と思っていました。防衛大の学校長の任期は何年ですか」と聞かれた。私は学校長の任期期限があることを聞いたことがない。相磯先生は、国分先生が防衛大の学校長の任期を終えた後、再び慶応義塾大学の塾長としてもどられることを期待していることが伝わる。

 防衛大の学校長には定まった任期期間がないことを述べると「慶応義塾大学にとっては損失かも知れないが、防衛大はまことに有能な学校長を迎えましたね」と。

  入校式典、観閲式、午餐会などの行事が終わった後に、国分良成新学校長に対して相磯秀夫先生は親しく表敬訪問された。その様子は、二人の親友が街角で出会ったような雰囲気をかもしだしており、私が同席してもいいものかどうか戸惑いを感じた。相磯先生は、私のことを「仕事の上での交流で、ほぼ同僚です」と紹介される。恐縮してしまった私は言葉が出ない。かろうじて防衛大の第3期卒業生であるという自己紹介をした。

 相磯先生は、いかなる経緯で防衛大学校長になられたかとまずは口を開かれた。国分学校長は数年前から話しがはあったこと、そして3.11の東日本大震災の自衛隊の活躍ぶりから、決心をかためたことを述べた。

 相磯先生は、慶応義塾大学の塾長となられることを期待していたと率直に意見を語ると、国分学校長は「慶應義塾大学ではまことに素晴らしい30年間を過ごして、満足しています。午餐会のときにも言いましたが、防衛大を日本一の学校にしたいという夢を持って赴任してきました。世界的なレベルの教育機関にしたいのです」と抱負を述べられる。

入校式

 入校式は、卒業式ほど華やかではない。防衛大の卒業式は、日本国首相が出席する国家事業の一環として行われるから、厳重な警備態勢ながら、華やかに映るのは当然である。

 入校式には防衛省事務次官が政府最高位官として出席され、自衛隊関係の最高位官も副長クラスが出席する。式場も満席ではない。

 平成24年度、2012年の入校式は、本科60期生502名、理工学研究科前期課程51期生63名、後期課程12期生6名、総合安全保障研究科前記課程16期生10名、後期課程4期生5名にたいして挙行された。

 防衛大学校は、理系、文系ともに、修士課程と博士課程をもつ堂々たる大学になっている。諸外国からの留学生も多く、その面からも国際貢献を行っている。

 今回留学生で特筆すべきことは、本科留学生として大韓民国から2名、東チモールから2名がいたことである。東チモールは、自衛隊がPKO活動を行ったことは記憶に新しい。

 新入生は、まことに初々しい。私は、「茶髪の新入生はいませんね」と相磯先生に話しかけた。相磯先生からは、頼もしそうに同意の言葉をいただいた。

 57年前の第3期生入校式のことが、つい先日のことのように思い浮かぶ。当時は化学館前の赤土がむき出しの広場で行われた。隔世の感に浸りながら目頭が熱くなる。記録をひもとくと、第3期生の着校日は4月7日、入校式は4月11日、杉原荒太防衛庁長官が入校式に臨席して訓辞を行っている。天候は快晴、式後直ちにライフル銃を手わたされたとある。

 ちなみに最初の授業は、5月4日に開始されているから、着校からほぼ一ヶ月間にわたって入校訓練があった。いまは、速やかに授業が始まる。大学に入ったにもかかわらず、訓練ばかりが続き、大学としての教育に対する失望感から退学者が多くなった時期があり、入校訓練を大幅に短縮したからである。

観閲式

 強風の中、白いホコリが舞い上がる中に在校生が整列している。かっては黒い土埃が、火山の噴火のように舞い上がった。観閲式の後は顔中真っ黒になった。かわいい白いホコリと思ったが、いまの学生には試練であろう。

 巡閲のあと、陸海空自衛隊の航空機祝賀飛行が行われた。それぞれの航空機に搭乗している卒業生の氏名と階級が紹介される。第60期の新入生の中に「オレも後に続くぞ」と胸を膨らませている者もいると想像する。あるいは「オレ」ばかりではなく「ワタシ」もいるかも知れない。

 パレードの指揮官は学生隊学生長、今年は女子学生である。かん高い声が運動場いっぱいに響きわたる。恒例に従って11中隊から順に、最後は44中隊である。おわかりだろうか、今の学生隊は四大隊編成になっている。パレード行進で本部席を通過する編成ごとに、大隊指揮官、中隊指揮官の氏名、所属学科、出身校が拡声器で紹介される。私の出身校の名前は聞かれなかった。

午餐会

 卒業式の午餐会は、立食形式であるが、入校式は着席して行われる。目の前には、赤飯折り詰めの紙箱が置かれている。

新入生は父兄と同席である。目の前の近くにある父兄席に盛装した自衛官が新入生と共に同席している誇らしげな父親の姿がある。

 午餐会のスピーチでは横須賀市長の歓迎の挨拶があった。必ずしも選挙運動とは関係なくヨコスカ市民として入校した学生と御両親・親族に暖かい言葉をとどけていた。

 そして同窓会会長の祝辞がある。すでに2万人を越える卒業生があり、その半分近くが現職であるという。ナニ半分近くしか現職がいない?.、超寿命国、日本であることを同窓会会長の祝辞から改めて認識した。

帰りの馬堀海岸駅

 馬堀海岸駅で電車が到着する前、ベンチに腰掛けている父と母、そして兄弟姉妹を見かける。

 入校式の疲れもあるかも知れないが、いま別れてきた子息女のことが気にかかるのか、不安な面持ちで、放心したように黙って座っている。

 短期間の間に訓練を受け、号令の元に整然と行進していた親愛なる子息女たち、つい先日までは家庭の中でのびやかにしていたことを思いながら、親元を離れた寂しさをただよわせていた。

 ひそやかに、防衛大の教育におまかせなさい、立派な人物に育ちますよと、声にこそださなかったが、電車がくるまで静かに見守ったものである。

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