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創立50周年記念

防衛大学校同窓会 50年のあゆみ

2011.03.13

主要事業・施策の補足説明

1 防大同窓会設立の経緯

  1. S33秋頃:卒業生及び学校本部から同窓会設立の要望により検討着手。
  2. S34.1:第1次会則案をもって研究会開催(竹下幹事を中心とする学校本部、校友会、#3~5期生会代表等による)
  3. S34.2:第1回設立のための打合せ会開催。同窓会の必要性を確認するとともに校友会、期生会との関係整理。    (槇学校長含む3役、訓練部長、図書館長、学生課長等学校関係者。内局教育課部員。卒業生#1、2期 約30名。総勢約60名で会合)
  4. S34.12:卒業生による設立準備委員会開催。
  5. S35. 4:卒業生アンケートの結果(賛成回答)を受け仮発足。学生課校友会係を窓口として同窓会事務局(仮称)設置。
  6. S35. 8:#1期生5名が初めて指導教官として防大着任。以降会則審議等準備。
  7. S36..21:設立総会(会長 陸1期 志摩 2尉 選出)

2 槇学校長胸像寄贈について

  1. S40.2:槇校長離任送別会における同窓会臨時総会において記念像設立案可決。
  2. S43.11:胸像設立実行委員会設置
  3. S44.11:槇学校長胸像原型完成  後藤光行氏(東京美術学校彫刻科、同研究科卒)
  4. S45.5:胸像除幕式(1大隊学生舎前)

3 槇記念文庫開設
 胸像寄贈とともに槇先生顕彰事業の一環として、槇学校長退官に際し同窓会に寄贈いただいた約2000冊の図書を同窓会からあらためて防大側に寄贈したことにより、図書館の一室に開設なったものである。

4 殉職同窓生顕彰碑について

  1. 防大創立30周年記念に合わせた同窓会事業の一つとして、長年の懸案であった顕彰碑を建立、寄贈したもの。
  2. 当時東北方総監(防大元幹事)の林栄一郎陸将から寄贈あった碑石(宮城県丸森町産の白御影石(25t))に、防大創立時の防衛庁長官木村篤太郎先生揮毫による。
  3. 昭和57.11.14日除幕式(59柱の殉職者名簿奉納)

5 同窓会誌の名称変遷

  1. 昭和37年~同57年 :「会報」(創刊号~19号)
  2. 昭和58年~平成5年 :「ゆうかり」(1号~9号)                                  (防大創立30周年記念事業に合わせ、同窓会活性化事業の一環として会報の充実を図るべく改称。)
  3. 平成6年~:「小原台だより」(同窓会の将来構想検討委員会の設置に合わせて機関紙の充実を図るべく改称。)

6 同窓会事務局の変遷

  1. 昭和36年~平成9年3月:防大側の理解、協力を得て学校本館学生課内に設置。
  2. 昭和63年:連絡調整の便益ならびに財団法人化準備委員会の設立に併せて、東京六本木(部外借り上げ)に 東京分室を設置。
  3. 平成9年4月~6月:改めて東京分室に同窓会本部事務局を設置。防大事務局は小原台事務局として改称。
  4. 平成9年7月~:防衛省移転に先立ちじ後の利便性を考慮の上、事務局を六本木から市ヶ谷に移転(現共済ビル3F)

7 財団法人化案に関する経緯(小原台だよりVol.1「財団法人設立断念について」より抜粋)

  1. 昭和55年頃より同窓会館設立の機運盛り上がり、そのために同58年に財団法人設立委員会が設置された。
  2. 財団法人化のためには公益性が必要条件であり、このため防衛人材確保協会(仮称)として法人化を目指すべく検討が 続けられた。
  3. 平成3年頃から内局と本格折衝を始め、一時は内局構想による防衛交流協会との合体案も提示されたが、本来の趣旨 に合致せず、また財団法人化のための収益事業の具体化の見通しが立たず、平成5年6月の臨時評議委員会にて断念 するとの議決がなされた。

8 防大50周年記念支援事業について

  1. 平成8年から防大の事業と連携して検討が開始された。支援事業の基金として同窓生から募金を開始。最終的に浄財1億2千万円強の支援事業となった。
  2. 主要事業は、

  ◆ 学校中心地区の施設整備に合わせたモニュメントの寄贈
   ・ 記念講堂:多摩美大教授 平松礼二画伯
原画「若人の城」のステンドグラス
   ・ 中央広場:愛知県立芸術大学教授 高橋洋先生 彫刻像「
国の護り
  ◆ 記念講演:三浦朱門先生「
望ましき自衛官像」 
  ◆ 公募記念マーチ等8曲の贈呈
  ◆ その他
   ・ 学校要望による顕彰室・資料館の整備支援
   ・ 各種記念品(ビデオ「任重く道遠し」、ブックレット「防衛大学校 50年のあゆみ」)の作成