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同窓生は今

今人生、男盛り(22期ーその4)

2017.03.11

人生の地平を歩く22mitunaga1.jpg
第 22 期 陸 上

 光 永 邦 保(みつなが くにやす)

《1「航海で大切なことは目的地よりも自分の位置を把握すること」》
 これは、かつて古庄幸一元海上幕僚長(13期)が母校の大分県立竹田高校を訪ねて、講話の中で使われた言葉である。
進路に悩む高校生に向かって伝えられたメッセージながら、私自身大変強く心を打たれた。以来、大きな夢や目標を描くよりも、まず今の自分の置かれた立場や状態をしっかり見極めることが、その後の方向を決める上で大切なことではないかと思うようになった。

《2 自衛隊勤務で得たもの(昭和53年3月~平成22年12月)》
 防大を卒業後、同期集団とともに久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校に移動し、約34年間にわたり陸上自衛官として勤務した。この間、北海道、関東、九州と全国各地をまわりながら、野戦特科職種(砲兵)の部隊長や行政的な責任者など、貴重な経験をすることができた。しかし、その経歴は自ら作り上げたものではない。組織要求の中で、常に新たな任務が与えられ、それにひるまず、ひたすら遂行することによって得られた経験と自信が一番の収穫であったように思う。

《3「国の防衛」からふるさと熊本のために(平成23年2月~)》
 有り難いことに自衛官締めくくりの場として郷里熊本での勤務の機会を与えていただいた。退官後の進路は、OBとしてそれなりの処遇が保障される道もご紹介いただいたが、私には「故郷の魅力を発信できるような仕事に就きたい」という思いの方が強かった。
 当時、熊本は九州新幹線の開通を目前に控え、お城を中心に大きな観光プロジェクトが動いていた。その目玉のひとつが、「湧々座(わくわくざ)」と呼ばれる新感覚の歴史文化体験施設である。まさに観光振興の新たな担い手として市民が注目する中、私は運良くここの運営グループ長として採用していただいた。「長」とは言え、一年毎の契約社員で、その処遇は中堅幹部時代の半分にも及ばなかった。しかしそれでも、新規プロジェクトの一部を任されることへの例えようのない高揚感と興奮があった。私は、若者中心の20名あまりのスタッフと共に、懸命に準備に取り組んだ。
ところが、オープン直後の平成23年3月11日。未曾有の天災、東日本大震災が発生した。当然のことながら、公式行事と集客のためのイベントの全てが中止となった。もともとの見積が甘かったことに加え、このスタートダッシュのつまづきが響いて、入館者数は目標を大きく下回った。しかし、こうした結果がむしろ闘志をかきたてた。まずチラシや呼び込みに工夫をこらし、海外対応を強化した。英語と韓国語は陸自の特技能力で十分だった。熊本城の魅力を紹介する寸劇の脚本も自ら手掛けた。気が付いてみれば自衛隊時代に身に付けたこと全てが役に立っていた。
そして少しずつではあるが入館者の数字も上方に回復していった。

《4 地方政治の担い手として(平成27年4月~)》
 観光施策の充実を図る一方で、熊本市は周辺自治体との合併事業が功を奏し、平成24年4月1日に政令指定都市へと移行した。これにともない市議会議員を選出する選挙の仕組みも変わり、これまでひとつであった選挙区が五つに分割されることとなった。
中でも最大の有権者数を有する東区には、健軍駐屯地が含まれていたが、当時の市議会議員の中には自衛隊の任務を全うした議員の姿はなかった。突然とも言えるこの区割り制度の変更が「いつかOBを市政の場に送り込みたい」という思いに千載一遇のチャンスをもたらしたのである。
私は周囲の勧めもあり立候補する決断をした。無論、理由は自衛隊のためだけではない。湧々座において観光行政に深く関わり、市への期待感が否応なしに増大していたことも大きかった。
その後の素人丸出しの選挙の様子はとてもここに披露することはできないが、周囲の方々の温かいご支援により何とか初当選を果たすことができた。健軍駐屯地の歴史から見れば実に16年ぶりのことだった。

《5 そして迎えた熊本地震(平成28年4月)》
 右も左もわからない議員活動に身を投じ、先輩議員からアドバイスをいただきながら迎えた二年目の平成28年4月14日夜と16日未明、今度は熊本が巨大な地震に襲われた。夜中に着の身着のままで避難する人たちに声をかけながら「ついに自らが被災者になってしまった」という強い衝撃があった。しかしそれ以上に、一人の地方議員として何ができるのか、何をしなければならないのか、というせき立てられるような思いの方が強かった。ある自治会長から要請を受け、健軍駐屯地に直接、給水を依頼した。わずか2時間ほどで現れた自衛隊の給水車の姿には、思わず手を合わせたくなるような神々しさがあった。また炊き出しのためにたくさんの食材を提供してくれたのは、健軍駐屯地業務隊時代にお付き合いをしていた鹿児島県の業者の方だった。更に全国から次々と駆け付けてくれた自衛隊OBの防災担当者たちからは、多くの支援物資や復旧への助言をいただいた。初めての体験ばかりだったが、大きな力に支えられ、その中で判断実行することに不思議と迷いはなかった。

《6 これからのこと(平成29年1月~)》
 今年で62歳。退官から6年、防大を卒業してからちょうど40年が経過した。私も妻も既往の大病も無く健康で元気に生活している。福岡と広島で暮らす二人の息子はそれぞれに家庭を持ち、二人の孫も授かった。かつての持久力や瞬発力、記憶力こそ無いかもしれないが、まだまだ人の役に立てる力は残っている。これからも高い目標を掲げることよりも、とりあえず自分に見える地平の中でしっかりと力を尽くしていきたいと思う。(了)

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