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同窓生は今

今人生、男盛り(21期)(その2)

2016.02.05

 ありがとう自衛隊への恩返し遠距離介護故郷再生         海21期生 安齊 勉

P1010041.JPG朝晩の満員電車に身を委ね会社勤めを始めて間もなく5年目になります。現役時代よりも少し忙しい気がしています。先輩に「俺たちは断れない症候群だよ」と言われます。お世話になった先輩や後輩から「お願いします」と声がかかれば「はい分かりました」、「やってみます」と応えることにしています。帝国海軍の猛訓練は「月月火水木金金」と言われました。一度染みついた潮気はなかなか抜けません。退職後も様々なことに取り組めるのは健康な心身のバロメーターと割り切っています。会社勤めは当然のことですので脇に置きます。日々取り組んでいる「ありがとう自衛隊への恩返し遠距離介護故郷再生」を簡単に紹介し「今人生男盛り」の寄稿とします。

再就職し改めてお世話になった自衛隊に「ありがとうございます」と感謝し「どうにか少しでも恩返ししたい」と思っています。幹部自衛官の基本は防衛大学で培われました。海上自衛官の人格と技量は幹部候補生学校、部隊、海上幕僚監部、統合幕僚監部、情報本部等の勤務を通じて深められました。家族を養い人生のすべてを教えていただきました。自衛隊時代の部隊運用の経験や同僚先輩後輩の皆さんとの絆のお陰でどうにか会社も勤まっています。

恩返しの第一は、海洋安全保障の普及や海上自衛隊を支援する公益財団法人水交会のお手伝いです。水交会の方針的事項や予算を審議する会務財務委員会や海上自衛隊等支援委員会において遠洋練習航海部隊の壮行会や帰国歓迎行事、南極観測艦しらせの見送り出迎えなど交流行事に参画しています。活躍する現役に接する楽しみがあります。

第二は、横須賀水交会が横須賀地方総監部と協定を結び開始した隊員の留守家族支援活動であるファミリーサポートに夫婦で参加しています。海上自衛官の夫婦が災害派遣等で緊急登庁する際、隣近所や親せき等にどうしてもお願いできない小学生を水交会会員の自宅に預かり数日間の食事や宿泊通学等の面倒を見るボランティアです。今後の充実が必要です。

第三は、日米ネービー友好協会の総務総括として部隊研修や日米友好親善に寄与した日米の部隊及び隊員を表彰する会務を運営しています。米海軍の空母George Washington 送別会や空母Ronald Reagan歓迎会も企画し大変に喜ばれました。日米同盟の基盤である海上自衛隊と米海軍の相互理解と友好親善に少しでも寄与できるという充実感があります。防衛大学に短期留学中の米海軍士官学校等の候補生及び防衛大学校の対番の皆さんにも声をかけています。日米交流の担い手に成長されるよう応援しています。

第四は参議院全国区から自衛隊出身議員として選出されている佐藤正久と宇都隆史後援会のお手伝いです。昨年、平和安全法制関連法が成立しました。自衛隊出身の国会議員は審議において中心的な役割を果たしています。自衛隊は各種の事態に切れ目なく対応できるようになります。日米共同体制と抑止力が強化されます。紛争を抑止し日本の安心安全を高め平和国家としての歩みを確実にするため自衛隊を運用する時代になりました。現場で汗をかく隊員の声を国政に反映させることが必要です。地に足の着いた防衛論議を引き続き深め、自衛官の処遇改善、戦没者遺骨の帰還促進に全力で取り組む自衛隊出身の参議議院議員を応援することは自衛隊OBの役割です。お世話になった自衛隊への恩返しになります。

私事で恐縮ですが一昨年の春先に「男は役に立たない」と言う86歳の父を看取りました。三度の大病を乗り越え最後まで現役の農家を貫きました。秋に父は麦を作付し稲やサツマイモの苗も注文していました。四十五日を終え田植えの季節になり農協から苗が届き驚いたものです。長男とし89歳になる母と築160年ほどの養蚕農家の屋敷や山間の僅かばかりの田畑の面倒を見ることになりました。父は亡くなる前に敷地内に新しい家を建てましたので母屋が手付かずのまま残りました。父が生きている内に見て貰えるように思い切って母屋を古民家再生しました。揚屋して基礎をやり直しました。大黒柱や家の端から端まで一本の木を使った屋根裏の梁や仏間の和室等をそのまま残し囲炉裏や土間、馬屋を明るく生活しやすい間取りにリホームしました。

img0061.jpg病気することなく自衛隊生活を全うできたのも丈夫に産み育ててくれた両親のお陰です。親に一言も相談しないで防衛大学の試験を受け入学を決めた私を両親は黙って送り出してくれました。父兄会に入り「おやばと」などを読み部隊の見学も楽しみにしていたようです。今度は私がその恩に少しでもこたえようと思っています。幸い妻の実家もひと山越えた町にあり車で10分もかかりません。

故郷の嬬恋村は1783年の浅間山の大噴火により壊滅的な被害を受けました。4~5メートルの火山灰や泥流に埋もれ多くの村人が亡くなり家財や田畑も失いました。近隣の村々の協力と藩や幕府の手厚い支援を受けながら残された人々は村と生活の再生を行っています。親を失った子には子を失った親を家族とし、夫を亡くした妻には妻を亡くした夫を縁組しました。八家族ほど作り直したといわれています。幕末から明治大正昭和にかけて富岡製糸場を支える養蚕が盛んでした。現在は出湯と粉雪キャベツ生産日本一の村、愛妻の聖地ともなっています。実家の敷地内には噴火の際に押し流されてきた小屋ほどもある大きな浅間石が2個残っています。屋敷神様の小さな祠が祭られています。

週末や連休には極力田舎に帰り土いじりに励み農家のまね事をしています。介護サービスや地域の診療所の診察を受けつつ兄弟姉妹で交代しながら母の遠距離介護にも励んでいます。慣れない畑仕事です。たいしたことはできません。隣近所の先輩に教えとお手伝いをいただいています。家の周りで田植えのまね事と大豆や小豆等を少しばかり作付しています。手の着かない大きな畑はキャベツ農家や花農家に耕作をお願いしています。空き地は旅館の駐車場に貸しています。過疎化、少子化、農産物の輸出入の自由化等課題の多い山間の寒村で生計を立てることは容易ではありません。農民は常に自立した経営者であり新しいものに挑戦する研究者としてしっかりとした技術者でなければなりません。何ができるか見当もつきません。美しい農村風景や旬な野菜の美味しさ山野や小川の持つ癒しの効果を豊かな人生に活かしたい。古いものにも改めて新しい価値を見出したい。育ててくれた故郷を活性化したい。どうにか故郷の再生に貢献したい。国家防衛から故郷防衛に取り組みたい。故郷に夢を持っています。

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