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お知らせ

同期の皆さんへ

2017.09.18

         鈴木一行 2017, 9,5

 昨日、3期陸HPの記事を見ることができました。マル防任官実務に貢献できなかった私に近況報告(かつ写真掲載)の機会を与えて頂き大感謝です。

 突然ですが私、この91720日、ウランバートルに参ります。下記のように難しい過去もありますが昨今は善い方向に進行中、と感じています。

 「ノモンハン」の激戦地はモンゴルの東のはずれハルハゴル郡にある。東モンゴル最大の都市チョイバルサン(人口77,000)から車で約6時間の距離にあり、ハマル峠には戦勝記念塔など博物館がある。丘から見下せるハルハ川を渡った東側が最激戦地でモンゴル国境警備隊基地がおかれている。川の東地帯に行くには警備隊員が同行する。中国国境が目と鼻の先だから。旧日本軍の車両の残骸も埋まっているし薬莢や銃弾も転がっている。

 日本軍はハルハ川の西側まで侵攻しトーチカ(破壊され天井に穴があいている)が残されている。この卜-チカの脇に日本の墓参団が建てたグラスファイバー製金色の卒塔婆はへし折られ、地蔵像は黒焦げにされ埋められた、という。 1939年に勃発したノモンハン事件は中国から独立したばかりのモンゴルにとって日本軍の攻撃は恐怖であり、弱小モンゴルを支援したソ連に対する感謝の反面、戦場跡では反日感悄が爆発した、のでは。知人小野田伸治氏(77才、剣道の達人で指導、ウランバートルにオフィスビル所有)が目下、日本軍兵士の慰霊塔を建立すべく奮闘中である。

 さて戦後のモンゴル捕虜終了所で日本人元兵士が同胞を死に追いやった「暁に祈る事件」発覚から今年2017年で68年となる(朝日新聞1949319日・20日号)。モンゴルの首都ウランバートル郊外ダンバダルジャーの丘にモンゴルで亡くなった日本人抑留者の慰霊塔がある。モンゴルに送られた日本人抑留者数は12,326名、脱走者3名を除いた10,705名がソ連に再送還されたのでさし引き1,618名がモンゴル40数ケ所の収容所で亡くなった。モンゴル軍の戦利品の中には日本陸軍の軍服も多数含まれていたにも拘らず、日本人には支給されることなく敗戦当時の夏服のまま零下30度にもなる凍土で強制労働に駆り出され、結果としてシベリヤ抑留より高い死亡率をもたらした。

  • 参考図書一覧
  • ★地球の歩き編集室 地球の歩き方D14 モンゴル20172018年版 ダイアモンド社、改訂第16版第1刷 2017-3-10 (注)2015年モンゴルの人口306万人、首都ウランバートルの人口134万人
  • ★プレンバヤル・ビレクト述 脱国者が語る・モンゴルの戦中戦後 (株)社会評論社、佐々木健悦編訳・補説(19301950)初版第1刷 2015-4-25
  • WEB引用 「暁に祈る事件」
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